玉勝間 / 八の巻 ちりめん
又同祭の使の裝束に、着有文下襲、縮緬綾袴等、と見えたり。縮緬は、今の世にも云ふちりめんなるべし。但し昔は、ちぢめんと云ひけむを、ちりめんとは訛れるなるべし。
新字:又同祭の使の装束に、着有文下襲、縮緬綾袴等、と見えたり。縮緬は、今の世にも云ふちりめんなるべし。但し昔は、ちぢめんと云ひけむを、ちりめんとは訛れるなるべし。
書き下し
又同じ祭の使の装束に、有文の下襲、縮緬の綾袴等を着す、と見えたり。縮緬は、今の世にも云うちりめんなるべし。但し昔は、ちぢめんと云いけむを、ちりめんとは訛れるなるべし。
現代語訳
また同じ祭の勅使の装束に「文様のある下襲、縮緬の綾の袴などを着た」と見える。縮緬は、今の世にも言う「ちりめん」であろう。ただし昔は「ちぢめん」と言ったのを、「ちりめん」と訛ったのであろう。
解説
絹織物の「縮緬(ちりめん)」の名の古い形を推した段である。縮緬は、強く撚った糸で織り、表面に細かな凹凸を出した絹織物で、江戸時代には京の西陣や丹後で盛んに織られ、着物の生地として広く親しまれていた。宣長は、兵範記の石清水臨時祭の記事に勅使の装束として「縮緬」の字が見えるのを見つけ、この字の本来の読みは「ちぢめん」で、それが訛って「ちりめん」になったのだろうと推す。「縮」の字は「ちぢむ」と読むから、筋の通った推測である。ただし、この記事の縮緬が今の縮緬と同じものかどうかについては、宣長も「なるべし」と推量の形で書くにとどめている。字と音、物と名の対応を確かめながら言葉の変化の道筋を探る宣長の方法が、身近な布の名にも向けられている。暮らしの中の物の名にも、音の移ろいの歴史が刻まれていることを教える段である。
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 中間と云ふものの事永仁三年にしるせる、布衣記と云うふみに、云云若党中間、跡に上下着て召し具す、また中間の事、折烏帽子小結常なり染直垂に大帷を重ね、袴には大口をかさね云云など云えり。然れば中間と云うもの、昔のは、今の世に云うとは、異なるものなりけむ。
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『玉勝間』十一の巻 八丈絹神鳳抄に、諸国の御厨より、大神宮に奉る物の中に、八丈絹幾疋と云うこと、多く見えたり。されば此の絹いずれの国よりも出だししなり。伊豆の沖なる八丈が島と云うも、昔この絹を織り出だせしより、島の名にも成れるなるべし。かくて今の世に八丈と云うはたは、かの島より織り出だす故に、八丈とは云うと、みな人思いたんめるは、まことにさも有らむか。また思うに、今の八丈はた、即ち古の八丈絹にても有るべし。そはとまれかくまれ八丈と云う島の名は、かの八丈絹よりぞ出でつらむかし。
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『玉勝間』七の巻 直綴と云ふ衣今の世に、直綴と云う法衣あり。同書延文二年四月のところに、この名見えたり。また同四年四月十五日、公賢の大臣のかしらおろし給う所にも、直衣を脱ぎ、次に法衣を着る、墨染の大直綴なり。その色濃しと見ゆ。
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『玉勝間』八の巻 端に反ノ字を書く事台記に、布三反、布二反など有り。その頃も、端を反と書りしなり。
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『玉勝間』十二の巻 きがへ同じものがたりに、きがえとり寄せて、きかえてと有り。こは着替えに設けたる衣の由なり。今の世に衣服すべてきがえと言うなるは、これより転りたるなり。
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