玉勝間 / 八の巻 端に反ノ字を書く事
台記に、布三反、布二反など有り。その頃も、端を反と書りしなり。
書き下し
台記に、布三反、布二反など有り。その頃も、端を反と書りしなり。
現代語訳
台記に「布三反」「布二反」などとある。その頃も、「端(たん)」を「反」と書いたのである。
解説
布の長さの単位「たん」を「反」と書く習いが、平安時代末にすでにあったことを示した短い段である。布を数える「たん」は、本来は布のひとまとまりの切れを意味する「端」の字で書かれた。宣長は、藤原頼長の台記に「布三反」とあるのを見つけ、江戸時代に一般的だった「反」の字遣いがその頃からあったことを確かめた。今日でも着物一着分の布を「一反」と言い、「反物」という語も残っている。字の当て方は本来の形から離れていても、長く使われるうちに定着してしまうことがある。宣長は前に「用捨」と「容捨」の違いを論じたように、字の本来の形を気にかける人であったが、ここでは誤りと断じず、古くからの習いとして記録するにとどめている。古記録を読む中で見つけた、暮らしの単位の小さな歴史である。
関連する章句
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『玉勝間』十の巻 たんざく三代実録廿七の巻に、短籍と見え、また卅五の巻に、短冊とも見えたり。但し歌を書く物にはあらず。
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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