玉勝間 / 十二の巻 われから、はまゆふ
をしへ子なる、安濃ノ津の芝原、春房が語りけるは、あるとき、三重ノ郡四日市の浦の船人共の、おのがどち、はかなしごとども云ひあへる中に、一人が、われからくはぬ僧もなやと云ふことを、口ずさびたるに、ふと耳とまりて、われからと云ふは、いかなる物ぞと問ひしかば、うち笑ひて、われからを知らぬ人も有りけり、海の藻の中にまじりて、もはら藻のさましたる虫なり、海菜の中にまじりたるをば、さながら乾たるを、色も形も、分きがたければ、え知らで、ほうしも皆くふなりと云ふ。猶問ひ聞くに、春の末ごろとる、雜魚と云ふ、こまかなる魚の中にもまじりて、長さ多くは三寸四寸ばかり有て、色靑く、まれには黃ばみたるも有て、藻の如くに見えて、動く物ある、それなりとぞ云ひける、と語りき。そもそも此物は、今も斯く、たしかにてある物なるを、物知り人たち、くさぐさの說有て、さだかならざるやうなるは、ただ書のうへにのみかかづらひて、そのまことの物のうへを、尋ぬる事無きが故なり。又同じ人のかたりけるは、濱木綿は、或人も云へる如く、今の世に、濱おもとと云ふ物なるべし。
新字:をしへ子なる、安濃ノ津の芝原、春房が語りけるは、あるとき、三重ノ郡四日市の浦の船人共の、おのがどち、はかなしごとども云ひあへる中に、一人が、われからくはぬ僧もなやと云ふことを、口ずさびたるに、ふと耳とまりて、われからと云ふは、いかなる物ぞと問ひしかば、うち笑ひて、われからを知らぬ人も有りけり、海の藻の中にまじりて、もはら藻のさましたる虫なり、海菜の中にまじりたるをば、さながら乾たるを、色も形も、分きがたければ、え知らで、ほうしも皆くふなりと云ふ。猶問ひ聞くに、春の末ごろとる、雑魚と云ふ、こまかなる魚の中にもまじりて、長さ多くは三寸四寸ばかり有て、色青く、まれには黄ばみたるも有て、藻の如くに見えて、動く物ある、それなりとぞ云ひける、と語りき。そもそも此物は、今も斯く、たしかにてある物なるを、物知り人たち、くさぐさの説有て、さだかならざるやうなるは、ただ書のうへにのみかかづらひて、そのまことの物のうへを、尋ぬる事無きが故なり。又同じ人のかたりけるは、浜木綿は、或人も云へる如く、今の世に、浜おもとと云ふ物なるべし。
書き下し
おしえ子なる、安濃の津の芝原春房が語りけるは、あるとき、三重の郡四日市の浦の船人共の、おのがどち、はかなしごとども云いあえる中に、一人が、われからくわぬ僧もなやと云うことを、口ずさびたるに、ふと耳とまりて、われからと云うは、いかなる物ぞと問いしかば、うち笑いて、われからを知らぬ人も有りけり、海の藻の中にまじりて、もはら藻のさましたる虫なり、海菜の中にまじりたるをば、さながら乾したるを、色も形も、分きがたければ、え知らで、ほうしも皆くうなりと云う。なお問い聞くに、春の末ごろとる、雑魚と云う、こまかなる魚の中にもまじりて、長さ多くは三寸四寸ばかり有りて、色青く、まれには黄ばみたるも有りて、藻の如くに見えて、動く物ある、それなりとぞ云いける、と語りき。そもそもこの物は、今もかく、たしかにてある物なるを、物知り人たち、くさぐさの説有りて、さだかならざるようなるは、ただ書のうえにのみかかずらいて、そのまことの物のうえを、尋ぬる事無きが故なり。また同じ人のかたりけるは、浜木綿は、或る人も云える如く、今の世に、浜おもとと云う物なるべし。
現代語訳
教え子である安濃津の芝原春房が語ったことには、ある時、三重郡四日市の浦の船乗りたちが仲間うちでたわいもない話をし合っていた中で、一人が「われから食わぬ僧もなし」ということを口ずさんだので、ふと耳にとまって、「われからというのはどんな物か」と尋ねたところ、笑って「われからを知らない人もいたものだ。海の藻の中に混じっていて、まったく藻のような姿をした虫である。海藻の中に混じっているのを、そのまま干したものは、色も形も見分けがたいので、知らずに坊さんもみな食べるのだ」と言う。さらに問い聞くと、「春の末ごろに獲る雑魚という細かな魚の中にも混じっていて、長さはたいてい三、四寸ほどで、色は青く、まれには黄ばんだものもあって、藻のように見えて動く物がある、それである」と言った、と語った。そもそもこの物は、今もこのように確かにある物なのに、物知りの人たちにいろいろの説があって、はっきりしないようなのは、ただ書物の上だけにこだわって、その実際の物について尋ねることが無いからである。また同じ人が語ったことには、浜木綿(はまゆう)は、ある人も言っているように、今の世に「浜おもと」という物であろう、とのことである。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』十二の巻 われから、はまゆふこのはまおもとと云う物、本立ちははせおの如くにて、土より四五寸ばかり上より、おもとと云う物に似たる葉の、いくえも重なりて、生い出でたる、葉の長さ、二尺三四寸ばかりも有るべし。但しこれは、おのが見たるをもて云うなり。なお長きもみじかきも有らむか。あまたは見ざれば、よくは知らず。常に潮をそそげば、よく栄ゆと云えり。霜をいたくおそるる物にて、冬は葉の末なかば枯るるを、春になれば、また新たなるが生い出でて重なるなり。七月のころ花咲くを、その色白くて、垂れたるが、木綿に似たるから、浜ゆうとは云いけるにや。今も紀の国の熊野の浦、またその近きわたりの浦々にも有りて、須賀島と云う所には、殊に多くありと云えり。今ようの木草を好むともがらの、瓶にうえて、もてあそぶ物なり、とぞ語りける。
-
『玉勝間』十一の巻 うぐひと云ふ魚の名川魚にうぐいと云う有り。今は一つの魚の名なれども、もとは鵜の喰いたる魚を云えるなるべし。神祇の伯顕仲朝臣の歌に、「かがり火の光にまがう玉藻にはうぐいのいおもかくれざりけり、鵜川の題なり。これ鵜のくう魚と聞こえたり。
-
『玉勝間』七の巻 ほやのいずし肥前の国の佐伯の海に、ほやと云う物あり。紫色にて、海鼠のごとくなる形したる物なりと、佐伯の人かたれり。然らば土左日記に、ほやのいずしと有るは、それを飯ずしにしたるなるべしと、或る人云えり。
-
『玉勝間』十一の巻 口あみもろもち土佐日記に、人々のくちあみも、もろもちにて、この海辺にてにない出だせるうたと有り、遠江の国人金原の〓方がいわく、今世に海人のしわざに、引網と云う有りて、それに口網奥網と云うあり。そのくちあみは、広さ六七尺ばかり、長さは五六十丈もあるを海中へはえ置きて、魚をとる。そを引きあぐる時には、海人どもここら並みたちて、にない出だすなり。これならむと云えり。さも有るべし。歌よむことの口重きを、たわむれに、かの口網の重くて、ここらの人のかかりて、にない出だすにぞ譬え云いたりけむ。
-
『玉勝間』四の巻 月草の事月草は、今の世に露草と云う物なり。国によりて、ぼうし草とも、べべし草とも云う。世にぼうしと云いて、物を染むる紙あるは、この草にて染めたる故の名なり。また古き歌に、花色衣と詠めるも、この月草染めなり。今の世に、青色を花色と云うこれなり。またそれをちくさとも云うは、月草を訛れるなり、と或る人云えり。
-
『玉勝間』五の巻 鴫立沢同じ書に、しぎたつ沢と云う所にいたりぬ、西行ほうしここにて、「心なき身にもあわれはしられけり、と詠ぜしより、この所を、かくは名づけけるよし、里人語り侍りければ、「あわれ知る人の昔を思い出でて鴫たつさわを泣くなくぞとう、と云えり。このしぎたつ沢と云う所は、うけられぬ事なれど、その頃より、早く然か云えりしなりけり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る