玉勝間 / 十二の巻 麻閇と佐伎との差又後を佐伎と云ふ事
前は、目方なり。尻方の反對にて、されば人になすらへて、物の形にも、しりへに、對へては云ふべきを、同じく前ノ字は書ヶども、後に對ひたる佐伎を、麻閇と云へる事は無し。今の俗言に、旣往をまへかたなど云ひ、又節供まへ盆まへなど云ふたぐひ、或は書に、まへに見えたり、又某ノ時よりまへなど云ふたぐひなど、皆ひがことなり。己も早くは此わきまへ無くして、佐伎と云ふべきを、麻閇と物に書たりし事ありしは、今思へば誤、なりき。これら文字は同くて、言は異あるなり。字によりて誤ること無かれ。さて又事のついでに云はむ。佐伎と云ふは、旣往の事なるに、後の事をもゆくさきと云ふは、うらうへながら相通ふなり。道を行くにも、過來しかたは先にして、行末は後なるを、佐伎と云ふ。又さきだつと云ふ言は、時にては、既往の方に云ひ、道を行には行末の方にあるを云ふ。これも同言にて意はうらうへなるが如し。
新字:前は、目方なり。尻方の反対にて、されば人になすらへて、物の形にも、しりへに、対へては云ふべきを、同じく前ノ字は書ヶども、後に対ひたる佐伎を、麻閇と云へる事は無し。今の俗言に、既往をまへかたなど云ひ、又節供まへ盆まへなど云ふたぐひ、或は書に、まへに見えたり、又某ノ時よりまへなど云ふたぐひなど、皆ひがことなり。己も早くは此わきまへ無くして、佐伎と云ふべきを、麻閇と物に書たりし事ありしは、今思へば誤、なりき。これら文字は同くて、言は異あるなり。字によりて誤ること無かれ。さて又事のついでに云はむ。佐伎と云ふは、既往の事なるに、後の事をもゆくさきと云ふは、うらうへながら相通ふなり。道を行くにも、過来しかたは先にして、行末は後なるを、佐伎と云ふ。又さきだつと云ふ言は、時にては、既往の方に云ひ、道を行には行末の方にあるを云ふ。これも同言にて意はうらうへなるが如し。
書き下し
前は、目方なり。尻方の反対にて、されば人になずらえて、物の形にも、しりえに、対えては云うべきを、同じく前の字は書けども、後に対いたるさきを、まえと云える事は無し。今の俗言に、既往をまえかたなど云い、また節供まえ盆まえなど云うたぐい、あるいは書に、まえに見えたり、また某の時よりまえなど云うたぐいなど、皆ひがことなり。己も早くはこのわきまえ無くして、さきと云うべきを、まえと物に書きたりし事ありしは、今思えば誤りなりき。これら文字は同じくて、言は異なるあるなり。字によりて誤ること無かれ。さてまた事のついでに云わむ。さきと云うは、既往の事なるに、後の事をもゆくさきと云うは、うらうえながら相通うなり。道を行くにも、過ぎ来しかたは先にして、行く末は後なるを、さきと云う。またさきだつと云う言は、時にては、既往の方に云い、道を行くには行く末の方にあるを云う。これも同じ言にて意はうらうえなるが如し。
現代語訳
「まへ(前)」は「目方(まへ)」、つまり目のある方である。「しりへ(尻方)」の反対であって、だから人になぞらえて、物の形についても、後ろ(しりへ)に対しては言うべきものである。同じく「前」の字は書いても、時間の「後」に対する「さき」を「まへ」と言ったことは無い。今の俗語で、過ぎ去ったことを「まへかた」などと言い、また「節供まへ」「盆まへ」などと言う類い、あるいは「書物のまへに見えた」、「某の時よりまへ」などと言う類いは、みな誤りである。私も早くはこの区別をわきまえず、「さき」と言うべきところを「まへ」と物に書いたことがあったが、今思えば誤りであった。これらは文字は同じでも、言葉は違うのである。字によって誤ってはならない。さてまた事のついでに言おう。「さき」というのは過ぎ去ったことであるのに、後のことをも「ゆくさき」と言うのは、裏表ではあるが相通じるのである。道を行くにも、通ってきた方は「先」であって、行く末は「後」であるのに、それを「さき」と言う。また「さきだつ」という言葉は、時については過ぎ去った方に言い、道を行くときは行く末の方にあることを言う。これも同じ言葉で意味が裏表になっているようなものである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 棧敷物を見るさじきを、中昔より、桟敷と書くは、ひがことなり。小右記には、狭敷と書かれたり。これは桟敷と書くよりはまされり。されど正字にはあらず。正字は、日本紀に度と有る、これなり。古事記には、佐受岐と有り。
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『玉勝間』八の巻 言の然云ふ本の意を知らまほしくする事たとい其もとの意は、よく明らめたらむにても、いかなる所に使いたりと云う事を知らでは、何のかいも無く、おのが歌文に用うるにも、ひがことの有るなり。今の世古学をするともがらなど殊に、すこし遠き言と云えば、まず然云う本の意を知らむとのみして、用いたる意をば、考えむともせざる故に、おのが使うに、いみじきひがことのみ多きぞかし。すべて言は、然云う本の意と、用いたる意とは、多くは等しからぬ物なり、たとえばなかなかにと云う言はもと、こなたへもかなたへも附かず、中間なる意の言なれども、用いたる意はただ、なまじいにと云う意、又移りては、かえりてと云う意にも用いたり。然るを言の本によりて、打まかせて、中間なる意に用いては、たがうなり。又心ぐるしと云う言は、今の俗言に、気毒なると云う意に用いたるを、言のままに、心の苦き事に用いては、たがえり。されば是等にて、万の言をも、なずらえ心得て、まず古えに用いたるようを、さきとして、明らめ知るべし、言の本にのみよりては、中々に古えにたがう事多かるべしかし。
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『玉勝間』十四の巻 さきはひ幸と云うこと、この方の古書には、多く福の意に用いて差別なし。然るを、字の義は異にして、幸は、福を受くべきよし無くして、偶然に得たるを云う。もろこしにて用いたるは、みなその意なり。
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『玉勝間』八の巻 言の然云ふ本の意を知らまほしくする事物まなびするともがら、古言の、しか云うもとの意を、知らまほしくして、人にもまず問う事、常なり。然云う本の心とは、たとえば天と云うは、いかなる意ぞ、地と云うは、いかなる意ぞ、と云う類いなり。これも学びの一つにて、さも有るべき事には有れども、さしあたりて、むねとすべきわざにも有らず。大かた古えの言は、然云う本の意を知らむよりは、古人の用いたる意を、よく明らめ知るべきなり。用いたる意をだに、よく明らめなば、然云う本の意は、知らでも有るべきなり。そもそも万の事、まずその本をよく明らめて、末をば後にすべきは、論無けれど、然のみにも有らぬわざにて、事のさまによりては、末よりまず物して、後に本へはさかのぼるべきも有るぞかし。大かた言の本の意は、知り難きわざにてわれ考え得たりと思うも当れりやあらずや、定め難く、多くはあたり難きわざなり。されば言の葉の学問は、その本の意を知る事をば、のどめ置きて、かえすがえすも、古え人のつかいたる意を、心をつけて、よく明らむべきわざなり。
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『玉勝間』一の巻 悠紀主基大嘗の悠紀主基の主基の事、書紀の私記に、師説に、斎忌に次ぐなりと云えるより、今に至るまで、人皆この意とのみ心得ためれど、ひがことなり。かの説は、天武紀に、斎忌、此をば踰既と云う、次、此をば須岐と云う、と有るによれるなれども、斎忌こそこの字の意なれ、次は借字にして、この字の意にはあらず。古はすべて言だに同じければ、字は、意にはかかわらず、借りて書けるに、次を須岐とも云えるから、言の同じきままに、借りて書きならえるを、そのままに書かれたる物なり。次の意にあらずと云うゆえは、悠紀と主基とは、何事も二方全く同じさまにして、一事もいささかのおとりまさりあること無ければ、次と云うべきよしさらに無し。天武紀なるは、借字なること、疑い無き物をや。主基は、禊の曾岐と同言にして、濯と云うことなり。みそぎも身灌にて、そそくとすすくと同じきを、共につづめて、曾岐とも須岐とも云えるなり。されば是れも、斎忌と同じさまの名にして、濯ぎ清めたるよしなるぞかし。
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『玉勝間』十の巻 荷前荷前、荷を能と云うことは、木を、木末、木の葉など、許と云い、火を、火影、炎など、保と云うたぐいにて、第二の音の、第五の音にはたらく例なり。書紀神功の巻に、荷持をも、能登利と訓注あり。また和名抄、備中の国下道の郡の郷の名に、近似と書きて、知加乃里としるしたる有り。から書にても、似はノレリとよみならえり。これらも同じ例なり。
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