玉勝間 / 十二の巻 八景と云ふ事
世に八景と云ふ事の、此處にも彼處にも多かるは、もともろこしの國の、なにがしの八景と云ふをならひて、さだめたる、近江八景ぞ始めなめるを又それにならひてなりけり。さるはむげに見所も無き所をさへに、しひて入れなどしたるが多かるは、いかにぞや。まことにその景を賞とならば、景色よきかぎりをとりてこそ、定むべけれ。その數にはさらにかかはるまじく、いくつにても有べきに、數をかたく守りて、必ず八ッにととのへむとしたるこそ、こちなく覺ゆれ。
新字:世に八景と云ふ事の、此処にも彼処にも多かるは、もともろこしの国の、なにがしの八景と云ふをならひて、さだめたる、近江八景ぞ始めなめるを又それにならひてなりけり。さるはむげに見所も無き所をさへに、しひて入れなどしたるが多かるは、いかにぞや。まことにその景を賞とならば、景色よきかぎりをとりてこそ、定むべけれ。その数にはさらにかかはるまじく、いくつにても有べきに、数をかたく守りて、必ず八ッにととのへむとしたるこそ、こちなく覚ゆれ。
書き下し
世に八景と云う事の、ここにもかしこにも多かるは、もともろこしの国の、なにがしの八景と云うをならいて、さだめたる、近江八景ぞ始めなめるを、またそれにならいてなりけり。さるはむげに見所も無き所をさえに、しいて入れなどしたるが多かるは、いかにぞや。まことにその景を賞ずとならば、景色よきかぎりをとりてこそ、定むべけれ。その数にはさらにかかわるまじく、いくつにても有るべきに、数をかたく守りて、必ず八つにととのえむとしたるこそ、こちなく覚ゆれ。
現代語訳
世に「八景」というものが、あちらにもこちらにも多いのは、もともと中国の何とかの八景(瀟湘八景)というのにならって定めた近江八景が始まりであるらしいのを、さらにそれにならったものである。それにしても、まったく見どころも無い所までも無理に入れたりしているものが多いのは、どういうことか。本当にその景色を賞するというのなら、景色の良いものだけを取って定めるべきである。その数にはまったくこだわらず、いくつであってもよいはずなのに、数を固く守って、必ず八つにそろえようとしているのは、無骨なことに思われる。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十二の巻 物しり人もののことわりを論ずるやう世のものしり人、人の身のうえ、世の中のことわりなどを、さまざま心高く、いとかしこげには論えども、とかく云うもかく云うも、皆からぶみの趣きにて、その垣内を出ずる事あたわざるは、いかにぞや。
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『玉勝間』八の巻 歌もふみもよくととのふはかたき事近き代の人の歌ども文どもを、見あつむるに、一ふしおかしと目とまる事は、ほどほどにあまたあめれど、それはた如何にぞや覚ゆる所は交りて、大かた瑕無くととのいたるは、おさおさ見えず。これは思えば、後の世にして、古えをまねぶ事は、いといと難きわざになむ有ける。古えのかしこき人々のだに、是れはしも、露の瑕なしと覚ゆるは、多かる中にも、少くなん有れば、まして今の人のは、いささかなる瑕をさえに、云いたてむは、あながちなるにや有らむ、されど同じくは、人のいささかも難ずべき節まぜぬさまにこそはあらまほしけれ。よき程にて、心をやるをば、もろこしの古えの人も、善からぬ事に云い置きけるをや。
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『玉勝間』八の巻 今の人の歌文ひがこと多き事近き世の人のは、歌も文も、大かたはよろしと見ゆるにも、猶ひが事の多きぞかし。されど其のたがえるふしを、見知れる人はた世に無ければ、唯だかいなでに、此処かしこえんなる詞を使い、よしめきて、詠みなし書き散らしたるをば、誠に善しと見て、人のもてはやし、ほめたつれば、心をやりて、したり顔すめる、いとかたはら痛く、おこがましくさえぞ思わるる。さるにつけては、斯く云うおのが物する事も、猶いかにひが事有らむと、物よく見知れらむ人の心ぞ、恥しかりける。人のひが事の、よく見え分かるるにつけては、我はよくわきまえたれば、ひが事はせずと、思いほこれど、古えの事の心をさとり知るすじは、限り無きわざにし有れば、此外あらじとは、いとなん定め難きわざなりける。
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『玉勝間』七の巻 もろこしに無きこともろこしのまなびする人、彼の国に無き事の、御国に有るをば、文盲なる事と、おとしむるを、もろこしにも有る事とだに云えば、さてゆるすは、いかにぞや。もろこしには、すべて文盲なる事は、無き物とや心得たるらむ。彼の国の学びするともがらは、よろずにかしこげに、物は云えども、かかる愚かなる事も有りけり。
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