玉勝間 / 十二の巻 物学びはその道をよくえらびて入そむべき事
物まなびに心ざしたらむには、まづ師をよく擇びて、その立たるやう、〓、のさまを、よく考へて、從ひそむべきわざなり。さとりにぶき人は、更にも云はず、もとより、智とき人といへども、大かた始めに從ひそめたるかたに、おのづから心は引かるるわざにて、その道の筋惡ろけれど、惡ろき事をえさとらず。又後にはさとりながらも、年頃のならひは、さすがに捨て難きわざなるに、我とか云ふ禍神さへ立ヲそひて、とにかくにしひごとして、猶その筋をたすけむとする程に、終に善き事はえ物せで、世の限りひがことのみして、身ををふる類ひなど、世に多し。斯かる類ひの人は、つとめて深く學べば、學ぶまにまに、いよいよ惡ろき事のみ盛りになりて、己れまどへるのみならず、世の人をさへにまどはす事ぞかし。かへすかへす始めより、師をよく撰ぶべきわざになむ。此事は、うひやまぶみに云ふべかりしを、もらしてければ、此處には云ふなり。
新字:物まなびに心ざしたらむには、まづ師をよく択びて、その立たるやう、〓、のさまを、よく考へて、従ひそむべきわざなり。さとりにぶき人は、更にも云はず、もとより、智とき人といへども、大かた始めに従ひそめたるかたに、おのづから心は引かるるわざにて、その道の筋悪ろけれど、悪ろき事をえさとらず。又後にはさとりながらも、年頃のならひは、さすがに捨て難きわざなるに、我とか云ふ禍神さへ立ヲそひて、とにかくにしひごとして、猶その筋をたすけむとする程に、終に善き事はえ物せで、世の限りひがことのみして、身ををふる類ひなど、世に多し。斯かる類ひの人は、つとめて深く学べば、学ぶまにまに、いよいよ悪ろき事のみ盛りになりて、己れまどへるのみならず、世の人をさへにまどはす事ぞかし。かへすかへす始めより、師をよく撰ぶべきわざになむ。此事は、うひやまぶみに云ふべかりしを、もらしてければ、此処には云ふなり。
書き下し
物まなびに心ざしたらむには、まず師をよく択びて、その立てたるよう、のさまを、よく考えて、従いそむべきわざなり。さとりにぶき人は、更にも云わず、もとより、智とき人といえども、大かた始めに従いそめたるかたに、おのずから心は引かるるわざにて、その道の筋悪ろけれど、悪ろき事をえさとらず。また後にはさとりながらも、年頃のならいは、さすがに捨て難きわざなるに、我とか云う禍神さえ立ちそいて、とにかくにしいごとして、なおその筋をたすけむとする程に、終に善き事はえ物せで、世の限りひがことのみして、身をおうる類いなど、世に多し。かかる類いの人は、つとめて深く学べば、学ぶまにまに、いよいよ悪ろき事のみ盛りになりて、己れまどえるのみならず、世の人をさえにまどわす事ぞかし。かえすがえす始めより、師をよく選ぶべきわざになむ。この事は、うい山ぶみに云うべかりしを、もらしてければ、ここには云うなり。
現代語訳
学問に志したならば、まず師をよく選んで、その師の立てている学説のあり方をよく考えてから、従い始めるべきである。悟りの鈍い人は言うまでもなく、もともと賢い人であっても、たいていは初めに従い始めた方へ自然と心が引かれるもので、その道の筋が悪くても、悪いことに気づくことができない。また後には気づいても、長年の習いはやはり捨てがたいものであるのに、「我」とかいう禍の神までが寄り添って、何かと無理を言っては、なおその筋を助けようとするうちに、ついに善いことは何もできずに、生涯誤りばかりして身を終える者などが、世に多い。こういう類いの人は、努めて深く学べば学ぶほど、いよいよ悪いことばかりが盛んになって、自分が迷うだけでなく、世の人までも迷わせるのである。くれぐれも初めから師をよく選ぶべきである。このことは『うひ山ぶみ』で言うべきだったのに、漏らしてしまったので、ここで言うのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』二の巻 わがをしへ子にいましめおくやう吾に従いて物まなばむともがらも、わが後に、また善き考えのいできたらむには、必ずわが説にななづみそ。わが悪しき故を云いて、善き考えをひろめよ。すべておのが人を教うるは、道を明らかにせむとなれば、かにもかくにも、道をあきらかにせむぞ、吾を用うるには有りける。道を思わで、いたずらにわれを尊まんは、わが心にあらざるぞかし。
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うひ山ぶみ・第五段かくて学問に心ざして、入そむる人、はじめより、みづから思ひよれるすぢありて、その学びやうも、みづからはからふも有ルを、又さやうにとり分てそれと思ひよれるすぢもなく、まなびやうも、みづから思ひとれるかたなきは、物しり人につきて、いづれのすぢに入てかよからん、又うひ学ヒの輩のまなびやうは、いづれの書よりまづ見るべきぞなど、問ヒ求むる、これつねの事なるが、
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『玉勝間』二の巻 師の説になづまざる事おのれ古典を解くに、師の説とたがえること多く、師の説の悪ろき事あるをば、わきまえ云う事も多かるを、いとあるまじき事と思う人おおかんめれど、これすなわちわが師の心にて、常におしえられしは、後に善き考えの出で来たらんには、必ずしも師の説にたがうとて、なはばかりそとなむ、教えられし。こはいとたっとき教えにて、わが師の、世にすぐれ給える一つなり。大かた古をかむがうる事、さらにひとり二人の力もて、ことごとくあきらめ尽くすべくもあらず。またよき人の説ならんからに、多くの中には、誤りもなどか無からむ、必ず悪ろき事もまじらではえ有らず。そのおのが心には、今は古のこころことごとく明らかなり、これをおきては、有るべくも有らずと、思い定めたる事も、おもいの外に、また人のことなる善き考えも出で来るわざなり。あまたの年を経るまにまに、さきざきの考えのうえを、なおよく考えきわむるからに、つぎつぎにくわしく成りもて行くわざなれば、師の説なりとて、必ずなずみ守るべきにも有らず。善き悪しきを云わず、ひたぶるに古きをまもるは、学問の道には、云うかいなきわざなり。
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『玉勝間』四の巻 学者のまづかたきふしをとふ事物学ぶともがら、物知り人にあいて、物問うに、ともすればまづ、古書の中にも、世にかたき事として、誰も解きえぬふしをえり出でて、問うならいなり。たとえば書紀の斉明の御巻なる童謡、万葉にては、一の巻なる莫囂円隣云々と書ける歌などようのたぐいなり。こうようのかたき事を、まづ明らめまほしく思うも、学者のなべての心なれども、然らばやすき事どもは、皆よくあきらめ知れるかと、こころむれば、いとたやすき事どもをだに、いまだ得よくもわきまえず。さる者の、さしこえて、まづかたき節を明らめんとするは、いとあじき無きわざなり。よく聞こえたりと思いて、心もとどめぬ事に、思いの外なるひが心得の多かる物なれば、まづたやすき事を、いく度もかえさい考え、問いも明らめて、よく得たらん後にこそ、かたきふしをば、思いかくべきわざなれ。
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『玉勝間』四の巻 前後と説のかはる事ただしまたみづからこそ、初めのをば悪ろしと思いて、改めつれ、またのちに人の見るには、なお初めのかたよろしくて、後のはなかなかに悪ろきも無きにあらざれば、とにかくにえらびは、見む人の心になむ。
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『玉勝間』十二の巻 物しり人もののことわりを論ずるやう世のものしり人、人の身のうえ、世の中のことわりなどを、さまざま心高く、いとかしこげには論えども、とかく云うもかく云うも、皆からぶみの趣きにて、その垣内を出ずる事あたわざるは、いかにぞや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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