韓非子 / 解老第二十
由是觀之,禮繁者,實心衰也。然則爲禮者,事通人之樸心者也。衆人之爲禮也,人應則輕歡,不應則責怨。今爲禮者事通人之樸心而資之以相責之分,能毋爭乎?有爭則亂,故曰:「夫禮者,忠信之薄也,而亂之首乎。
新字:由是観之,礼繁者,実心衰也。然則為礼者,事通人之樸心者也。衆人之為礼也,人応則軽歓,不応則責怨。今為礼者事通人之樸心而資之以相責之分,能毋争乎?有争則乱,故曰:「夫礼者,忠信之薄也,而乱之首乎。
書き下し
禮繁き者は實心衰うるなり。...夫れ禮は、忠信の薄きにして、亂の首か。
現代語訳
礼儀が(過度に)煩雑になれば、実質的な真心は衰える。...そもそも礼とは、忠誠心や信頼が薄くなったことの現れであり、混乱の始まりである。
解説
礼儀作法や決まった手順があまりに細かく、うるさいほどに増えていくのは、実はそこに込められていたはずの真心が薄れてきた証拠だ、という指摘です。原文は「そもそも礼というものは、誠や信頼が薄くなったときに取り繕うために生まれたものであり、乱れの始まりでもある」とまで言い切ります。これは会社の書類仕事だけでなく、家庭や親戚付き合いにも当てはまります。お中元やお歳暮の作法、冠婚葬祭のしきたりが細かく厳しくなるほど、実はそこに人と人との温かいつながりが薄れているのかもしれません。形ばかりの挨拶や手続きを増やすことに気を取られる前に、相手を思う気持ちそのものが本当に伝わっているかを見つめ直すことが、この章句の教える大切な視点です。
この章句が説くこと
官僚主義形式主義実質と形式信頼関係組織の硬直化
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