玉勝間 / 十二の巻 よはひの賀に歌を多く集むる事、なき跡にいしぶみをたつる事
よはひの賀に、やまともろこしくさぐさの歌を、廣く乞ひ求めて集むる事、今の世に、人の多くする事なり。みやびわざとは云へど、さる心も無き者の、みだりにふくつけく物して、ただ數多くあつまれるを、たけき事にすなるは、中中にこちなくぞ覺ゆる。又さしも有るまじききはの人の、墓にもこと所にも、ことごとしきいしぶみを建つる事も、今の世にはいと多かる。これはた餘り類ひ多くて、珍しげ無く、中中に心おとりせられて、うるさくさへこそ覺れ。
新字:よはひの賀に、やまともろこしくさぐさの歌を、広く乞ひ求めて集むる事、今の世に、人の多くする事なり。みやびわざとは云へど、さる心も無き者の、みだりにふくつけく物して、ただ数多くあつまれるを、たけき事にすなるは、中中にこちなくぞ覚ゆる。又さしも有るまじききはの人の、墓にもこと所にも、ことごとしきいしぶみを建つる事も、今の世にはいと多かる。これはた余り類ひ多くて、珍しげ無く、中中に心おとりせられて、うるさくさへこそ覚れ。
書き下し
よわいの賀に、やまともろこしくさぐさの歌を、広く乞い求めて集むる事、今の世に、人の多くする事なり。みやびわざとは云えど、さる心も無き者の、みだりにふくつけく物して、ただ数多くあつまれるを、たけき事にすなるは、なかなかにこちなくぞ覚ゆる。またさしも有るまじききわの人の、墓にもこと所にも、ことごとしきいしぶみを建つる事も、今の世にはいと多かる。これはた余り類い多くて、珍しげ無く、なかなかに心おとりせられて、うるさくさえこそ覚ゆれ。
現代語訳
長寿の祝いに、和歌や漢詩などさまざまな歌を広く頼み求めて集めることは、今の世に多くの人がすることである。風雅な行いとはいうものの、そういう心も無い者がむやみに欲張って、ただ数多く集まったのを誇らしいことにしているのは、かえって無骨に思われる。また、それほどでもない身分の人が、墓にも別の所にも仰々しい石碑を建てることも、今の世にはたいへん多い。これもまたあまりに数が多くて珍しくもなく、かえって見劣りがして、煩わしくさえ思われる。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 今の人の歌文ひがこと多き事近き世の人のは、歌も文も、大かたはよろしと見ゆるにも、猶ひが事の多きぞかし。されど其のたがえるふしを、見知れる人はた世に無ければ、唯だかいなでに、此処かしこえんなる詞を使い、よしめきて、詠みなし書き散らしたるをば、誠に善しと見て、人のもてはやし、ほめたつれば、心をやりて、したり顔すめる、いとかたはら痛く、おこがましくさえぞ思わるる。さるにつけては、斯く云うおのが物する事も、猶いかにひが事有らむと、物よく見知れらむ人の心ぞ、恥しかりける。人のひが事の、よく見え分かるるにつけては、我はよくわきまえたれば、ひが事はせずと、思いほこれど、古えの事の心をさとり知るすじは、限り無きわざにし有れば、此外あらじとは、いとなん定め難きわざなりける。
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『玉勝間』八の巻 歌もふみもよくととのふはかたき事近き代の人の歌ども文どもを、見あつむるに、一ふしおかしと目とまる事は、ほどほどにあまたあめれど、それはた如何にぞや覚ゆる所は交りて、大かた瑕無くととのいたるは、おさおさ見えず。これは思えば、後の世にして、古えをまねぶ事は、いといと難きわざになむ有ける。古えのかしこき人々のだに、是れはしも、露の瑕なしと覚ゆるは、多かる中にも、少くなん有れば、まして今の人のは、いささかなる瑕をさえに、云いたてむは、あながちなるにや有らむ、されど同じくは、人のいささかも難ずべき節まぜぬさまにこそはあらまほしけれ。よき程にて、心をやるをば、もろこしの古えの人も、善からぬ事に云い置きけるをや。
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『玉勝間』十二の巻 俊成卿定家卿などの歌を悪しく云ひなす事近き頃、万葉ぶりの歌をものするともがら、みだりに心高き事を云いて、俊成の卿定家の卿などの歌をば、いたく拙きようにたやすげに云いおとすなるは、世の歌よみどもおしなべて、神のごと尊みかしこむを、ねたみて、あながちに云いくたさむとする、みだり事なり。そもそもこの卿たちの歌、悪しき事も、絶えて無きには有らざめれど、すべてのよう、古えより世々のあいだに、ぬけ出でたるところ有りて、まことにいとめでたし。然云いおとすともがら、いかに詠むとも、あしもとへ寄る事あたわじをや。
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『玉勝間』四の巻 兼好法師が詞のあげつらひ人の心は、うれしき事は、さしも深くは覚えぬものにて、ただ心にかなわぬ事ぞ、深く身にしみては覚ゆるわざなれば、すべてうれしきを詠める歌には、心深きは少なくて、心にかなわぬすじを、悲しみ憂えたるに、哀れなるは多きぞかし。然りとて、わびしく悲しきを、みやびたりとてねがわむは、人のまことの情ならめや。また同じ法師の、人はよそじに足らで死なむこそ、めやすかるべけれと云えるなどは、中ごろよりこなたの人の、みな歌にも詠み、常にも云うすじにて、命長からん事をねがうをば、心ぎたなき事とし、早く死ぬるを、めやすき事に云い、この世をいとい捨つるを、いさぎよき事とするは、これみな仏の道にへつらえるものにて、多くはいつわりなり。言にこそさも云え、心のうちには、誰かはさは思わむ。たとい、まれまれには、まことに然か思う人の有らんも、もとよりの真心には有らず、仏の教えにまどえるなり。人のまごころは、いかにわびしき身も、早く死なばやとは思わず、命惜しまぬ者は無し。されば万葉などの頃までの歌には、ただ長く生きたらん事をこそねがいたれ、中頃よりこなたの歌とは、その心うらうえなり。
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『玉勝間』十四の巻 世の人のこざかしき事云ふをよしとする事世の中のこざかしき人は、いわゆる道歌のさまなる俗歌をよみて、さとりがましき事をよく云うものなり。或いは身こそやすけれなど云いて、わが心のさとりにて身のやすきよしを詠むこと、みな儒仏にへつらいたる偽りごとなり。まことには、わが身を安しとして、足る事を知れる者は無きものなり。たとえば人の齢など、七十に及ぶは、まことに稀れなる事なれば、七十までも長らえては、はやく足れりと思うべき事なれども、人みななお足れりとは思わず。末のみじかき事をのみ歎きて、九十までも、百歳までも生きまほしく思うぞ、まことの情なりける。
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『玉勝間』十二の巻 金銀ほしからぬかほする事金銀欲しからずと云うは、例の漢ようの偽りにぞ有りける。学問する人など、好書をせちに得まほしがる物から、金銀は欲しからぬ顔するにて、その偽りはあらわなるをや。いまの世よろずの物、金銀をだに出せば、心にまかせて得らるる物を、好書ほしからむには、などか金銀ほしからざらむ。然は有れども、憚る事無くむさぼる世のならいにくらぶれば偽りながらも、さる類いは、なおはるかにまさりてぞ有るべき。
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