玉勝間 / 十二の巻 愛発と云ふ名のよみ
藤原ノ愛發と云ふ人あり。此名、如何によむにかと、いふかしかりしに、越前ノ國の地ノ名をとれる名にて、愛發關あらち山など云ふ所なりけり。
新字:藤原ノ愛発と云ふ人あり。此名、如何によむにかと、いふかしかりしに、越前ノ国の地ノ名をとれる名にて、愛発関あらち山など云ふ所なりけり。
書き下し
藤原の愛発と云う人あり。この名、如何によむにかと、いぶかしかりしに、越前の国の地の名をとれる名にて、愛発の関あらち山など云う所なりけり。
現代語訳
藤原愛発(ふじわらのあらち)という人がいる。この名をどう読むのかと不審に思っていたが、越前国の地名を取った名で、愛発の関(あらちのせき)、有乳山(あらちやま)などという所であった。
解説
平安初期の公卿藤原愛発の名の読み方が、越前国の地名から分かったという段である。愛発は嵯峨・淳和・仁明の三代に仕え大納言にまで昇ったが、承和の変に連座して失脚した人物である。宣長はその名をどう読むのか長く分からずにいたが、越前の古い関所「愛発関」、歌枕の「あらち山」と同じ字であることに気づき、「あらち」と読むと解いた。愛発関は鈴鹿・不破と並ぶ古代の三関の一つである。人名の読みが地名から解けるのは、古代の人が生まれ育った土地や乳母の氏の名を自分の名としたことがあるからだ。一見読めない名前も、別の分野の知識と結びつけると不意に解ける。長く抱えていた疑問が、思いがけない所から氷解する喜びが伝わる書き付けである。
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