玉勝間 / 二の巻 あざ名と云ふ物の事
あざ名と云ふもの、かの文琳、菅三、平仲などのたぐひのみにもあらず、古、より正しき名の外に呼ぶ名を、字と云へる事多し。中むかしには、今のいはゆる俗名をも、字と云へる事あり。其外にも田地の字、何の字くれの字など云ふも、皆正しく定まれる名としも無くて、呼びならへるを云へり。いづれも漢國人の字とはことことなり。そが中に、今の俗名を云へるは、漢人の字と、こころばへ似たり。
新字:あざ名と云ふもの、かの文琳、菅三、平仲などのたぐひのみにもあらず、古、より正しき名の外に呼ぶ名を、字と云へる事多し。中むかしには、今のいはゆる俗名をも、字と云へる事あり。其外にも田地の字、何の字くれの字など云ふも、皆正しく定まれる名としも無くて、呼びならへるを云へり。いづれも漢国人の字とはことことなり。そが中に、今の俗名を云へるは、漢人の字と、こころばへ似たり。
書き下し
あざ名と云うもの、かの文琳、菅三、平仲などのたぐいのみにもあらず、古より正しき名の外に呼ぶ名を、字と云える事多し。中むかしには、今のいわゆる俗名をも、字と云える事あり。その外にも田地の字、何の字くれの字など云うも、皆正しく定まれる名としも無くて、呼びならえるを云えり。いずれも漢国人の字とはことことなり。そが中に、今の俗名を云えるは、漢人の字と、こころばえ似たり。
現代語訳
あざ名(字)というものは、あの文琳(文屋康秀)・菅三(菅原文時)・平仲(平貞文)などの類だけではなく、古くから正式な名のほかに呼ぶ名を字と言ったことが多い。中古には、今のいわゆる俗名をも字と言ったことがある。そのほかにも、田地の字、何々の字、何某の字などと言うのも、みな正式に定まった名というわけでもなく、呼び慣わしてきたものを言ったのである。どれも中国人の字とは別のものである。その中で、今の俗名を言ったものは、中国人の字と趣が似ている。
解説
関連する章句
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『玉勝間』五の巻 三郎現報霊異記に、文の忌寸氏の人に字を上田三郎と曰う、と云える事あり。聖武天皇の御世のことなり。その頃より、三郎など云う名有りしにこそ。字と云えるは、今の世の俗名のごとし。
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『玉勝間』十四の巻 今の世人の名の事近き世の人の名には、名に似つかわしからぬ字をつく事多し。又、すべて名の訓は、世の常ならぬが多きうちに、近き頃の名には、殊にあやしき字、あやしき訓有りて、いかにとも訓み難きぞ多く見ゆる。すべて名は、いかにも安らかなる文字の、訓のよく知られたるこそ善けれ。これに名と云うは、いわゆる名乗り実名なり。某右衛門某兵衛の類いの名の事にはあらず。さて又その人の性と云う物にあわせて、名をつくるは、云うにも足らぬ、愚かなるならいなり。すべて人に、火性水性など、性と云う事は、更に無き事なり。又名のもじの、反切と云う事をえらぶも、いと愚かなり。反切と云うものは、ただ字の音をさとさむ料にこそ有れ、いかでかは人の名、これにあずからむ。
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『玉勝間』二の巻 苗字藤原源などは、世に同じ氏の人、数しらず多かれば、その内を苗字して分かざれば、いとまぎらわしきままに、つねにその苗字をのみよびならいて、むねと成れる、これおのずから必ずしかるべき勢いにして、今はこの苗字ぞ、姓の如くなれりければ、姓の知られざらん人などは、苗字を正しく守るべきわざなりかし。さてこの苗字の苗字は、よしなき事なり。こはもと名字なりけむを、然書きては、名またあざなにまぎるる故に、書きかえたる物なるべし。名字と書かむも、当たれるにはあらざれども、中昔には、名をもまた姓と名とをつらねても、広く常に名字と云いつれば、姓の小分をも、同じく然云いならえりしなり。また今の人、おのが子の事をも、父の事をも、同苗と云う、これももと同名にて、同姓のよしなり。
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『玉勝間』九の巻 人ノ名を文字音に云ふ事人の名を、世に文字の音にて呼びならえる事、古くは、時平の大臣、多田の満仲、源の頼光、安倍の晴明などのごとき有り。やや後には、俊成卿・定家卿、家隆卿、鴨の長明など、もはら文字ごえにのみ云いならえり。琵琶ほうしの、平家物語を語るを聞くに、常にはさもあらぬ、もろもろの人の名どもも、多くは文字ごえに物すなるは、当時ことに、世の中にさかりなりし事なめり。
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『玉勝間』八の巻 某屋と云ふ家の号の事さて彼のもろこしの、某堂、某斎のたぐいは、物知り人風雅人なども、商人も、かわる事なくて、同じさまにつく事なるを、御国にてもまねびて、つく人多き。それをば、あき人の家の号に同じとて、厭う事なきは、からめきたるに紛るればなるべし。然るに近き頃、古の学びするともがらは、その某堂、某斎のたぐいは、からめきたるをうるさがりて、皇国言葉もてつけむとするに、かの松屋、藤屋のたぐいは、さすがにさけむとする故に、つくべき号無くて、思いわぶめり。或は某の屋と、の文字を添えて、分かむとすれども、木草などのうちに、みやびたる名は、数多からねば、ここにもかしこにも、同じ事のみ出でくめり。そもそももろこしのは、多く二字を連らねてもつくる故に、いかさまにも心にまかせて、珍らしく附くべきを、皇国言は、二つかさねては、長くなりて、呼び苦しければ、かにかくに附けにくきわざなりかし。
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『玉勝間』八の巻 かんなまんな仮字をカンナとは云うべし、真字をマンナと云えるは、ひがことなり。仮字は、もとカリナなれば、そのリを音便にンと云いて、カンナとは云うなるを、真字は、マンナと云うべきことわり無し、そはカンナにならいて、ゆくりなく、同じさまにンを添えたる物なり。
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