玉勝間 / 十二の巻 ほうしの酒をのむ事
僧の酒を飮む事は、釋迦の重きいましめにて、魚肉を食ふよりは、罪重きわざとしたるに、今は憚かる事無くのむ習ひと成れるは、近き世の事かと思へば。萬葉十八の卷に、家持ノ卿の越中の國師の從僧淸見に、酒をおくられたること又東大寺の使僧平榮に、酒をおくられたる事など見えたれば、そのかみも憚からざりしにこそ。
新字:僧の酒を飲む事は、釈迦の重きいましめにて、魚肉を食ふよりは、罪重きわざとしたるに、今は憚かる事無くのむ習ひと成れるは、近き世の事かと思へば。万葉十八の巻に、家持ノ卿の越中の国師の従僧清見に、酒をおくられたること又東大寺の使僧平栄に、酒をおくられたる事など見えたれば、そのかみも憚からざりしにこそ。
書き下し
僧の酒を飲む事は、釈迦の重きいましめにて、魚肉を食うよりは、罪重きわざとしたるに、今は憚かる事無くのむ習いと成れるは、近き世の事かと思えば。万葉十八の巻に、家持の卿の越中の国師の従僧清見に、酒をおくられたること、また東大寺の使僧平栄に、酒をおくられたる事など見えたれば、そのかみも憚からざりしにこそ。
現代語訳
僧が酒を飲むことは釈迦の重い戒めで、魚や肉を食べるよりも罪の重い行いとされていたのに、今は遠慮もなく飲む習わしとなっているのは、近ごろの世のことかと思っていたところ、万葉集の巻十八に、大伴家持卿が越中の国師の従僧清見に酒を贈られたこと、また東大寺の使いの僧平栄に酒を贈られたことなどが見えているので、その当時も憚らなかったのであろう。
解説
僧が酒を飲む習わしが、決して近ごろの堕落ではなく、奈良時代からあったことを示した段である。仏教の五戒の一つに不飲酒戒があり、酒は魚肉以上に重く戒められていた。宣長は、今の僧が憚らず酒を飲むのは近世の風かと思っていたが、万葉集巻十八を見ると、越中守であった大伴家持が、国師に従う僧の清見や、東大寺から墾田の視察に来た僧の平栄に酒を贈って宴を催している。つまり奈良時代の僧もすでに酒を憚らなかったというのである。宣長は仏教の建前と実際の食い違いを皮肉な目で見ることが多かったが、ここでは非難するより、事実として古さを確かめるにとどめている。建前と実態のずれは昔からあった。
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