酔古堂剣掃 / 集法・酒無き時は佛を學ぶ
酒能亂性,佛家戒之;酒能養氣,仙家飲之。余於無酒時學佛,有酒時學仙。
新字:酒能乱性,仏家戒之;酒能養気,仙家飲之。余於無酒時学仏,有酒時学仙。
書き下し
酒は能く性を亂す、佛家之を戒む。 酒は能く氣を養ふ、仙家之を飲む。 余は酒無き時に於て佛を學び、酒有る時に仙を學ぶ。
現代語訳
酒は人の本性を乱すので、仏教ではこれを戒めています。酒は気を養うので、仙人の道ではこれを飲みます。わたしは酒のないときには仏を学び、酒のあるときには仙人を学びます。
解説
酒をめぐる仏家と仙家の立場を並べ、最後にとぼけた落ちをつけた一則です。仏教には不飲酒戒があり、酒は心を乱して他の戒を破るもととされました。一方、神仙の道を求める人々の間では、酒は気を養い心をのびやかにするものとして詩に詠まれてきました。著者はどちらかに軍配を上げず、酒がなければ仏道、あれば仙道と、その場の都合で使い分けると言って笑わせます。ここには、教えを窮屈な決まりとしてではなく、暮らしを豊かにする知恵として柔らかく受け取る、明末の文人らしい遊び心があります。何ごとも白黒をつけたくなるときに、両方の良いところをその場に応じて取るという、しなやかな構えを思い出させてくれます。
この章句が説くこと
飲酒仏教神仙諧謔処世
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