玉勝間 / 十二の巻 神郷公郷
同記同年に、神郷公郷と云ふ事見えたり。神郷は神領の郷。公郷も公領の郷なり。
書き下し
同じ記同じ年に、神郷公郷と云う事見えたり。神郷は神領の郷。公郷も公領の郷なり。
現代語訳
同じ記(小右記)の同じ年の条に、「神郷」「公郷」という言葉が見えている。神郷は神社の所領の郷であり、公郷は公領(国衙の領地)の郷である。
解説
平安時代の土地の呼び分けを示す「神郷」「公郷」という語を、小右記から拾った短い段である。神郷は神社の所領に属する郷、公郷は国司が治める公領の郷を指す。律令の仕組みが緩み、荘園や社寺の領地が広がってゆく中で、同じ国の中にも支配の異なる土地が入り交じるようになっていた。その区別が、言葉の上にもはっきり表れている。宣長は伊勢に住み、神宮の神領という特別な土地のあり方を身近に知っていたから、神社が郷を領する古い姿に関心を持ったのだろう。語の意味を簡潔に注するだけの書き付けだが、古記録を読むための基礎知識として、後の読者にも役立つものである。
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 神社を殊に宮と申す号の事同紀に、貞観九年八月二日、伊勢国の伊佐奈岐伊佐奈弥神に勅して、社を改めて宮と称し、月次祭に預からしめ、并びに内人一員を置くとある。これらによれば、凡て宮と申すと、社と申すとは、尊き卑しき差等ある事なるに、又なべて然るにもあらざるにや。殊なる大社にも、なお社と申して、宮とは申さぬも多きは、いかなる事にか有らむ。
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『玉勝間』十二の巻 勅旨田同じ記に、寛弘九年四月四日云云、左中弁談じて云う、昨日故院の御処分有り云云、中宮・東宮、勅旨田各百町、男女一品宮、八十町、御乳母等、廿町とあり。これによりて思えば、勅旨田とは、殊なる勅旨によりて賜う田を云うか。またこれは、もとより勅旨田と云うあるを、御処分にせられたる由にや。なお尋ぬべし。
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『玉勝間』五の巻 庄屋今の世田舎にて、村の長を庄屋と云う。文粋二の巻なる、延喜二年三月十三日の官符の文に、新たに庄家を立て、多く苛法を施す、と有り、類聚三代格にも出でたり。これその領主より、庄家と云うを立て置きて、その所の事を執せしなり。
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