翁問答 / 下卷之末
飲酒戒を智なりといへるは心得がたき事なり、さだめて凡夫の酒に酣醉して心くらく、威儀亂れたるを見て戒たるにて候はんか、それは飮者の誤にして酒のとがにあらず、たとへば食にむせたる人の食をいむにことならず、不及亂の儒法に從で酒を用なば賓主の歡を合肌膚をうるをし血氣を活し、百藥の長とも云べし、その上祭祀必用のものなれば、偏に禁制すべきものにあらず、事の是非をよく辨へ知るを智とす、かやうに偏にひがみたる戒をたもちて智者と云べけんや、その上智は天德の貞にして、人間是非の靈明衆理を妙にして、萬物を宰する神理なれば、飮酒戒を智なりと云は、石を玉なりと云にひとし、かくの如く似て似ぬことをおなじものなりといひて眞妄をみだるは愚痴なりと云んや、我慢ふかきとや云ん、惣じて佛者の法は大かたは邪僻なり、間に道理にかなひたるもあれど、かたくとりとゞこをりて泥によつて、死法となりて受用するもの、皆其法に繫縛せられて無下に淺まし。
新字:飲酒戒を智なりといへるは心得がたき事なり、さだめて凡夫の酒に酣酔して心くらく、威儀乱れたるを見て戒たるにて候はんか、それは飲者の誤にして酒のとがにあらず、たとへば食にむせたる人の食をいむにことならず、不及乱の儒法に従で酒を用なば賓主の歓を合肌膚をうるをし血気を活し、百薬の長とも云べし、その上祭祀必用のものなれば、偏に禁制すべきものにあらず、事の是非をよく弁へ知るを智とす、かやうに偏にひがみたる戒をたもちて智者と云べけんや、その上智は天徳の貞にして、人間是非の霊明衆理を妙にして、万物を宰する神理なれば、飲酒戒を智なりと云は、石を玉なりと云にひとし、かくの如く似て似ぬことをおなじものなりといひて真妄をみだるは愚痴なりと云んや、我慢ふかきとや云ん、惣じて仏者の法は大かたは邪僻なり、間に道理にかなひたるもあれど、かたくとりとゞこをりて泥によつて、死法となりて受用するもの、皆其法に繋縛せられて無下に浅まし。
書き下し
飲酒戒を智なりといへるは心得がたき事なり、さだめて凡夫の酒に酣酔して心くらく、威儀乱れたるを見て戒たるにて候はんか、それは飲者の誤にして酒のとがにあらず、たとへば食にむせたる人の食をいむにことならず、不及乱の儒法に従で酒を用なば賓主の歓を合肌膚をうるをし血気を活し、百薬の長とも云べし、その上祭祀必用のものなれば、偏に禁制すべきものにあらず、事の是非をよく弁へ知るを智とす、かやうに偏にひがみたる戒をたもちて智者と云べけんや、その上智は天徳の貞にして、人間是非の霊明衆理を妙にして、万物を宰する神理なれば、飲酒戒を智なりと云は、石を玉なりと云にひとし、かくの如く似て似ぬことをおなじものなりといひて真妄をみだるは愚痴なりと云んや、我慢ふかきとや云ん、惣じて仏者の法は大かたは邪僻なり、間に道理にかなひたるもあれど、かたくとりとゞこをりて泥によつて、死法となりて受用するもの、皆其法に繋縛せられて無下に浅まし。
現代語訳
飲酒戒を智だというのは理解しがたいことである。きっと凡夫が酒に酔いしれて心が暗く、威儀が乱れるのを見て戒めたのであろう。それは飲む者の誤りであって酒の咎ではない。たとえば食べ物にむせた人が食べることを忌むのと変わらない。「乱に及ばず」という儒の法に従って酒を用いるならば、賓客と主人の歓びを合わせ、肌を潤し血気を活かし、百薬の長ともいうべきである。そのうえ祭祀に必要なものであるから、ひたすら禁制すべきものではない。事の是非をよくわきまえ知るのを智とする。このように偏った戒を保って智者といえようか。そのうえ智は天徳の貞であって、人間の是非の霊明であり、衆理を妙にして万物を主宰する神理であるから、飲酒戒を智だというのは、石を玉だというのに等しい。このように似て非なるものを同じだと言って真妄を乱すのは、愚かというべきか、我慢が深いというべきか。総じて仏者の法はおおかた偏っている。まれに道理にかなったものもあるが、かたくなにとらわれて形にこだわるので死法となり、それを受け用いる者はみなその法に縛られて、まったく浅ましい。
解説
この章句が説くこと
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