玉勝間 / 八の巻 国ノ守神拝
更科の日記にいはく、あづまより人きたり、神拜と云ふ事して、國のうちありきしに云云、これ菅原ノ孝標の、東國の國司になりて、下りしが許より、云ひおこせたることなり、昔は、國司任國にくだりては、まづ部內の神社神社に詣でし事なり。
新字:更科の日記にいはく、あづまより人きたり、神拝と云ふ事して、国のうちありきしに云云、これ菅原ノ孝標の、東国の国司になりて、下りしが許より、云ひおこせたることなり、昔は、国司任国にくだりては、まづ部内の神社神社に詣でし事なり。
書き下し
更科の日記に曰わく、あずまより人きたり、神拝と云う事して、国のうちありきしに云云、これ菅原の孝標の、東国の国司になりて、下りしが許より、云いおこせたることなり、昔は、国司任国にくだりては、まず部内の神社神社に詣でし事なり。
現代語訳
更級日記にいう。「東国から人が来て、『神拝ということをして、国の中を巡り歩いた時に』云々」。これは菅原孝標が東国の国司になって下っていた所から言ってよこしたことである。昔は、国司が任国に下ると、まず管内の神社神社に参詣したのである。
解説
国司が任国に着くと、まず国内の神社を巡拝する「神拝」の習いを、更級日記から示した段である。更級日記の作者菅原孝標女の父孝標は、常陸介として東国に赴任しており、その任地から神拝の様子を知らせてきた記事である。平安時代の国司は、着任するとまず国内の主な神社に参って幣を奉ることが務めとされ、これを神拝と言った。国を治める者が、まずその土地の神々を敬うことから政を始めるという考え方がそこにある。後に国内の神社の神々をまとめて祀る総社も、こうした巡拝の便のために生まれたとされる。宣長は、古い政治が神を敬うことと一体であったことを、この記事から確かめた。神を祀ることこそ政の本であるという考えは、宣長の古道論の柱の一つであった。土地の神を敬うことから始めるという姿勢は、新しい場に入る者の心得としても読める。
関連する章句
-
『玉勝間』三の巻 新任国司庁宣神事を先キとする事朝野群載に云う、初任国司庁宣、新司宣す 加賀国在庁官人雑任等、仰せ下す三箇条の事、一つ早く神宝の勘文を進上すべき事、右件の神宝、或いは京に於いて之を儲け、或いは国に於いて之を調うる者、且つは勘文を進上し、且つは其の勤めを致すべし、又恒例の神事、慥かに式日を守り、殊に勤行すべし、一つ云云、一つ云云、延喜十年月日。また庁宣す 但馬国在庁官人等、仰せ下す雑事、一つ恒例の神事を勤仕すべし、右国中の政は、神事を先と為す、専ら如在の厳奠を致し、須らく部内の豊穏を期すべし云云、年月日。いにしえは、諸国にても、神事を重くせられしこと、かくの如し。
-
『玉勝間』一の巻 神拝口伝といふ事同記に云う、文明十二年十二月二日、吉田社に参詣す、兼倶卿の宿所咫尺の間、立ち寄りて日本紀御談義に参る事を賀す、対面して相語りて云う、神拝口伝の事、諸家競いて御尋ね有り、然るに此の六七十年以来、一向に問わるる事無し、諸家敬神無きか云々、余は敬神他に異なる以来、次いで授くべしと云々、則ち之を口伝す。三日、状を吉田神主に遣わす、昨日の面談、千載一遇たり候、殊に神拝御口伝の事、深く心中に秘し候、恩許手足の舞踏を知らず候、欣悦の余り、重ねて参り申すべきの処、遅々、先ず短章を献じ候、何様連々神道の事、御指南を仰ぐべく候、恐々謹言、宣胤、十二月三日、吉田殿。
-
『玉勝間』二の巻 御即位後奉幣諸神祝詞同じ記のつづきにまた云わく、天慶九年四月十五日の外記日記に云う、天皇即位す、仍りて五畿内七道諸国の天神地祇に幣帛を奉らんが為に、五畿内は諸司の物を以て宛て用い、諸国は当の正税を以て之に宛て用う、使は道毎に神祇の中臣斎部等を差す、(各駅鈴一口を給う、但し畿内の使には給わず、)また五畿七道諸国の諸神に奉幣する日、廃務の有無の事、天禄元年三月廿日辛酉、終日雨降る、上卿参らず、仍りて政無きなり、今日天皇御即位の後、先例に依りて五畿七道諸国の諸名神に奉幣する使を発遣せらるるなり、件の使等は、神祇官の先日差し申すに依りて、大中臣斎部等を以て其の官と為し、諸国に符し給う、但し神祇官より件の使等を立つ。また、畿内七道の使の官符八枚、七道の幣料、正税を以て之に宛つべき官符五枚等なり、合わせて十五枚、と見えたり。この記は、後の小野の宮の右大臣実資公の日記なり。
-
『玉勝間』八の巻 祭に臨みて神主を定むる事左経記に、寛仁元年十一月三日丁酉、天晴る、祭事を行わんが為に、梅宮に参る云云、但し氏人等遅参す云云、仍て大膳少進従五位下上野朝臣広遠を以て、神主と為す云云(先例は氏人を以て神主と為す、而るに遅参す、仍て定め有りて、広遠を以て神主と為す)と有るを見れば、古は、祭に臨みて、神主と云うものを、定められたる事も有しなり。
-
『玉勝間』十の巻 賀茂ノ社の神主祢宜権祢宜台記に云う、久寿元年六月十五日、頭光頼朝臣来たりて曰く、賀茂の禰宜重忠、神主に転じ、権禰宜家平、禰宜に転じ、貴布禰の禰宜助平、権禰宜に転じ、氏人久〓、貴布禰の禰宜に補す、てえりと見えたり。神主と禰宜と有りしなり。貴布禰の禰宜の権禰宜に転ずるは、賀茂の権禰宜に成れりしなり。
-
『玉勝間』六の巻 天の下の政神事をさきとせられし事職員令に、神祇官を、もろもろの官のはじめに、まず挙げて、それが次に、太政官を挙げられたり。延喜式も、同じくはじめに神祇式、次に太政官式なり、後の世ながら、北畠の准后の職原抄も、令にならいて、ついでられたり。そもそもよろずの事、さばかり唐の国ぶりをならい給えりし御世にしも、かく有りしは、さすがに神の御国のしるしにて、いともいとも尊く、めでたきわざになむ有りける。世の中は何につけても、この心ばえこそ有らまほしけれ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る