玉勝間 / 十二の巻 人をさして貴殿と云ふ事又某ノ国の住人と云ふ事
同記、同年の所に、人をさして、貴殿と云へること見えたり。又筑前ノ國志麻ノ郡ノ住人、文室ノ忠光、同國怡土ノ郡ノ住人、多治ノ久明などあり。住人と云ふ事も、やや古しかし。
新字:同記、同年の所に、人をさして、貴殿と云へること見えたり。又筑前ノ国志麻ノ郡ノ住人、文室ノ忠光、同国怡土ノ郡ノ住人、多治ノ久明などあり。住人と云ふ事も、やや古しかし。
書き下し
同じ記、同じ年の所に、人をさして、貴殿と云えること見えたり。また筑前の国志麻の郡の住人、文室の忠光、同じ国怡土の郡の住人、多治の久明などあり。住人と云う事も、やや古しかし。
現代語訳
同じ記(小右記)の同じ年の条に、人を指して「貴殿」と言っていることが見えている。また「筑前国志麻郡の住人、文室忠光」「同国怡土郡の住人、多治久明」などとある。「住人」という言い方も、かなり古いのだ。
解説
「貴殿」「住人」という二つの言葉が、平安中期の記録にすでに見えることを示した段である。貴殿は今も手紙などで相手を敬って呼ぶ語だが、それが十一世紀初めの実資の日記に使われている。また「筑前国志麻郡の住人」という言い方は、武士が名乗りに用いる「何国の住人何某」の形の早い例である。同じ寛仁三年には九州北部に刀伊が来襲しており、そこで戦った地方の人々の名が記録に残ったものと考えられる。宣長は事件そのものには触れず、呼称と名乗りの形だけに目を向けている。軍記物語でおなじみの「住人」という言い方が、実際の公家の記録にこれほど古くから見えることに、宣長は「やや古し」と感じ入っている。
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