玉勝間 / 十二の巻 借家
同記に、近所之借家と有り。
書き下し
同じ記に、近所の借家と有り。
現代語訳
同じ記(中御門宣胤卿記)に「近所の借家」とある。
解説
「借家」という言葉が室町時代の公家の日記にすでに見えることを、わずか一行で書き留めた段である。今ではごく普通の言葉だが、家を借りて住むという暮らし方と、それを指す語がいつから記録に現れるのかは、確かめてみなければ分からない。宣長は古記録を読みながら、自分の時代にありふれた言葉に出会うたびに、こうして印をつけていった。十五世紀末から十六世紀初めの京都では、戦乱で焼け出された人々も多く、町の中に貸し家が広まっていたと考えられる。宣長の生きた松坂も、江戸に店を持つ商人の町であり、借家住まいは身近なものであった。一語の用例は小さな発見だが、積み重なれば言葉と暮らしの歴史になる。
関連する章句
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