玉勝間 / 五の巻 ふとん
今ノ世に、寐る所に敷物を、布團と云ふは、古へ布單と云ひし物あり、布毯とも書たり。此物より轉れる名なるべし。
新字:今ノ世に、寐る所に敷物を、布団と云ふは、古へ布単と云ひし物あり、布毯とも書たり。此物より転れる名なるべし。
書き下し
今の世に、寝る所に敷く物を、布団と云うは、古え布単と云いし物あり、布毯とも書きたり。この物より転れる名なるべし。
現代語訳
今の世で、寝るところに敷く物を「布団(ふとん)」と言うのは、昔「布単(ふたん)」といったものがあり、「布毯」とも書いた。この物から転じた名であろう。
解説
寝具の「ふとん」という名の由来を推し量った短い段である。宣長の時代には、寝るときに敷く物を布団と呼んでいた。宣長は、昔「布単」あるいは「布毯」と書かれた敷物があり、その名が転じて「ふとん」になったのだろうと見る。「布団」という字は、もともと禅僧が座禅に用いた蒲の丸い敷物「蒲団」に由来するという説が今はよく知られるが、宣長は別の道筋を考えている。結びが「べし」の推量であるように、宣長も確証のある説として出してはいない。毎晩使う身近な物ほど、名の由来は意識されない。宣長はそうした物の名にも古い記録の中の手がかりを探した。暮らしの道具の名前を一つひとつ問い直すことが、言葉の歴史を知る入口になるという一段である。
関連する章句
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