玉勝間 / 十二の巻 百年忌
同記、(康富)同三年七月五日、細川奥州、曾祖父顯氏之百年忌、今日被修作善。
新字:同記、(康富)同三年七月五日、細川奥州、曽祖父顕氏之百年忌、今日被修作善。
書き下し
同じ記、(康富)同じ三年七月五日、細川奥州、曾祖父顕氏の百年忌、今日作善を修せらる。
現代語訳
同じ記(康富記)の、同じく(宝徳)三年(1451)七月五日の条に、「細川奥州が、曾祖父顕氏の百年忌の作善(追善の仏事)を今日行われた」とある。
解説
「百年忌」という法要が室町時代に行われていたことを示す一行の抜き書きである。細川奥州(細川氏の一族で奥州守を称した人)が、曾祖父細川顕氏の百年忌の追善供養を営んだ。顕氏は足利尊氏に従って戦った南北朝期の武将で、正平七年(1352)に没しているから、没年から数えて百回忌の年にあたる。仏教の年忌法要は、一周忌・三回忌から始まって三十三回忌で弔い上げとすることが多いが、名家では五十回忌・百回忌も営まれた。宣長はこうした記録を拾うことで、先祖供養の習俗がどこまで古くさかのぼれるかを確かめていたのだろう。曾孫が百年前の先祖を弔うという事実には、家を重んじた武家の心がよく表れている。
関連する章句
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『玉勝間』七の巻 百箇日同書に、延文三年八月九日、天晴る、伝え聞く、贈左府百箇日の仏事、今日等持寺に於て之を修すと云々と有り。贈左府は尊氏の卿なり。
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『玉勝間』二の巻 忌日祥月年忌の事また忌日たびたびにては、おのずからまことの忌日の、なおざりになるかたあり、とも云うべけれど、そは今も祥月とて、またことにすれば、これはた欠くるかたは無きぞかし。さてまた近き世には、年忌と云うわざ有りて、一周忌、三年忌、七年忌、十三年忌、十七年忌、廿五年忌、卅三年忌、五十年忌、百年忌と、また殊にねもころに物すなる、これはた古は曾て無かりしわざにて、皇国にては、昔は一周忌をはてと云いて、殊に物し、もろこしにては、一周忌を小祥と云い、服のはての三年を、大祥と云えるのみこそ有りけれ、その外仏の道にも、この年忌は無き事なり。然るにこのわざ、ようようにひろごりて、今は仏の諸宗にも、あまねくその祖師などのためにも、遠忌とて、三百年五百年千年などまで、遥かに数え出でて、いかめしく行う事とぞ成れりける。そもそもこの年忌と云うわざも、月毎の忌日と同じたぐいにしあれば、古に無かりしわざならんからに、捨つべきにもあらず。何わざも、古に異なるをば、ひたぶるにはぶき捨てむとするは、よろしからぬさかしらなり。そこないだに無くは、時世のならいにそむかざらむこそ善からめ。また事が中には、古よりも、今のしわざのまされるも、などか無からむ。
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『玉勝間』十の巻 玄旨法印の忌日同じ集、玄旨法印をかなしめる詞にいわく。五条のもうちぎみより、京極の黄門の一ながれ、その末絶えずして、この法印まで、正しきすじを伝え来たり給えりとぞ。まことに仰ぐべく、とうとまざらむやは。過ぎにし八月廿日に、かくれ給いぬれば、定家卿の正忌にさえあたりにけり。さるべき契や有りけむ云々。「かわらずよ高きその名もおぐら山秋の廿日にきえし月影。
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『玉勝間』二の巻 忌日祥月年忌の事今の世に、親先祖のうせぬる日を、忌日と云うは、月毎のその日にて、その月のをば、殊に祥月とぞ云うなる。この祥の字は、もろこしの小祥大祥よりうつれるなるべし。されど古は、今云う祥月をこそ、忌日とはしけれ、月ごとの忌日と云うは、ここにももろこしなどにも、無かりしかば、祥月と云う事も、もとより無かりしなり。昔は忌月とて、その月の内は、すべてよろずをつつしみて、その日をば殊に正日と云う事は有りきかし。されば今祥月と云うも、正日の例にて、正月なるべきを、然書きては、月次の正月にまぎるる故に、祥の字は書きにもあらむか。さて月毎の忌日は、もろこしに無き事なるを以て、今儒者などは、有るまじき事として、親も先祖も、月毎には死なず、死にし日は、ただ一日こそあれ、など云うめるは、一わたりはことわり聞こえたれども、もし然云わんには、年毎にも死にはせざれば、年ごとの忌日も、あるまじき事とや云わまし。すでに年毎の忌日あるうえは、月毎にせむも、何か悪しからむ。これは古よりもまさりて、ねもころなるしわざにしあれば、今の世のならいに従わんこそ、まさりては有らめ。
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