玉勝間 / 七の巻 百箇日
同書に、延文三年八月九日、天晴、傳聞、贈左府百箇日佛事、今日於等持寺修之云云と有り。贈左府は尊氏ノ卿なり。
新字:同書に、延文三年八月九日、天晴、伝聞、贈左府百箇日仏事、今日於等持寺修之云云と有り。贈左府は尊氏ノ卿なり。
書き下し
同書に、延文三年八月九日、天晴る、伝え聞く、贈左府百箇日の仏事、今日等持寺に於て之を修すと云々と有り。贈左府は尊氏の卿なり。
現代語訳
同じ書(園太暦)に、「延文三年八月九日、晴れ。伝え聞くところでは、贈左大臣の百箇日の仏事を、今日、等持寺で営んだという」とある。贈左大臣とは足利尊氏卿のことである。
解説
園太暦から、足利尊氏の百箇日法要の記事を書き抜いた段である。尊氏は延文三年四月に没し、死後に左大臣を贈られたので「贈左府」と呼ばれている。等持寺は京にあった足利家の菩提寺である。宣長の関心は、今も行われる「百箇日」という仏事が、この時代にすでに営まれていたことを確かめる点にあったと見られる。四十九日や一周忌などの追善供養は中国の仏教習俗に由来するが、それが日本の武家の間にいつ根づいていたかを、日付のある日記の一行が教えてくれる。宣長は仏教に厳しい目を向けた人だが、世の習いの起こりを記録として押さえることには労を惜しまなかった。好悪と事実の確認を分けるのも、学問の心得である。
関連する章句
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