玉勝間 / 二の巻 忌日祥月年忌の事
園大曆云、貞和三年九月廿五日、今日竹林院入道左大臣卅三回忌辰也、因茲廣義門院就于西園寺無量光院壇場、被修御佛事、件朞月佛事、先規未詳云云、取手〓〓、更無所見云云、然而或又有營此事之人歟、予先妣此忌辰、有相營事、所詮幽靈之追福、遠近盡懇志之條、可叶孝子之道歟とあり、此論おだやかなり。
新字:園大暦云、貞和三年九月廿五日、今日竹林院入道左大臣卅三回忌辰也、因茲広義門院就于西園寺無量光院壇場、被修御仏事、件朞月仏事、先規未詳云云、取手〓〓、更無所見云云、然而或又有営此事之人歟、予先妣此忌辰、有相営事、所詮幽霊之追福、遠近尽懇志之条、可叶孝子之道歟とあり、此論おだやかなり。
書き下し
園大暦に云う、貞和三年九月廿五日、今日は竹林院入道左大臣の卅三回の忌辰なり、茲に因りて広義門院、西園寺無量光院の壇場に就きて、御仏事を修せらる、件の朞月の仏事、先規未だ詳らかならず云云、手〓〓を取るに、更に所見無し云云、然れども或いはまた此の事を営む人有るか、予が先妣の此の忌辰、相営む事有り、所詮幽霊の追福、遠近懇志を尽くすの条、孝子の道に叶うべきか、とあり、この論おだやかなり。
現代語訳
『園太暦』(洞院公賢の日記)にこうある。「貞和三年(1347)九月二十五日、今日は竹林院入道左大臣(西園寺公衡)の三十三回忌の命日である。そこで広義門院が西園寺の無量光院の壇場で御仏事を修された。この年忌の仏事は、先例がまだはっきりしない。手元の〓〓を調べても、まったく見当たらない。しかし、あるいはこの事を営む人もあるのか。私も亡き母のこの忌日に営んだことがある。結局のところ、亡き人の冥福を祈り、遠い近いにかかわらず心を尽くすことは、孝子の道にかなうのではないか」とある。この論は穏やかである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』二の巻 忌日祥月年忌の事また忌日たびたびにては、おのずからまことの忌日の、なおざりになるかたあり、とも云うべけれど、そは今も祥月とて、またことにすれば、これはた欠くるかたは無きぞかし。さてまた近き世には、年忌と云うわざ有りて、一周忌、三年忌、七年忌、十三年忌、十七年忌、廿五年忌、卅三年忌、五十年忌、百年忌と、また殊にねもころに物すなる、これはた古は曾て無かりしわざにて、皇国にては、昔は一周忌をはてと云いて、殊に物し、もろこしにては、一周忌を小祥と云い、服のはての三年を、大祥と云えるのみこそ有りけれ、その外仏の道にも、この年忌は無き事なり。然るにこのわざ、ようようにひろごりて、今は仏の諸宗にも、あまねくその祖師などのためにも、遠忌とて、三百年五百年千年などまで、遥かに数え出でて、いかめしく行う事とぞ成れりける。そもそもこの年忌と云うわざも、月毎の忌日と同じたぐいにしあれば、古に無かりしわざならんからに、捨つべきにもあらず。何わざも、古に異なるをば、ひたぶるにはぶき捨てむとするは、よろしからぬさかしらなり。そこないだに無くは、時世のならいにそむかざらむこそ善からめ。また事が中には、古よりも、今のしわざのまされるも、などか無からむ。
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『玉勝間』二の巻 忌日祥月年忌の事今の世に、親先祖のうせぬる日を、忌日と云うは、月毎のその日にて、その月のをば、殊に祥月とぞ云うなる。この祥の字は、もろこしの小祥大祥よりうつれるなるべし。されど古は、今云う祥月をこそ、忌日とはしけれ、月ごとの忌日と云うは、ここにももろこしなどにも、無かりしかば、祥月と云う事も、もとより無かりしなり。昔は忌月とて、その月の内は、すべてよろずをつつしみて、その日をば殊に正日と云う事は有りきかし。されば今祥月と云うも、正日の例にて、正月なるべきを、然書きては、月次の正月にまぎるる故に、祥の字は書きにもあらむか。さて月毎の忌日は、もろこしに無き事なるを以て、今儒者などは、有るまじき事として、親も先祖も、月毎には死なず、死にし日は、ただ一日こそあれ、など云うめるは、一わたりはことわり聞こえたれども、もし然云わんには、年毎にも死にはせざれば、年ごとの忌日も、あるまじき事とや云わまし。すでに年毎の忌日あるうえは、月毎にせむも、何か悪しからむ。これは古よりもまさりて、ねもころなるしわざにしあれば、今の世のならいに従わんこそ、まさりては有らめ。
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『玉勝間』七の巻 仁木頼景法師がみまかれる時の事同書に、同四年十月十二日、伝え聞く、仁木左京大夫頼景法師、今朝卒去すと云々。十三日云々、気止むと云々。十九日、今日、新院御楽の事有りと云々、云々、頼景法師卒去の間、取り敢えず音楽のごときは無益の旨、沙汰有り、禁裏は七箇日已後明日、御沙汰有るべしと云々、武家随分の重人なり。御沙汰然るべきか、仙洞はその沙汰に及ばざるか、ただしまた強いて難とすべからざるかと有り。この頃は、武家の執権と云いし人の卒去のおりも、かかる御沙汰の有りけるなりけり。
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『玉勝間』七の巻 百箇日同書に、延文三年八月九日、天晴る、伝え聞く、贈左府百箇日の仏事、今日等持寺に於て之を修すと云々と有り。贈左府は尊氏の卿なり。
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『玉勝間』十二の巻 百年忌同じ記、(康富)同じ三年七月五日、細川奥州、曾祖父顕氏の百年忌、今日作善を修せらる。
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『玉勝間』五の巻 中ごろまでは諸王おほかりし事園太暦、康永三年の除目に、従五位下為実王(天暦の御後)、貞和二年の除目に、従五位下宗友の王(天暦の御後)、同三年の除目に、従五位下資方王(寛和の御後)、延文四年の除目に、従五位下資能王(寛和の御後)など有り。この程までは、諸王も猶多かりしと見えたり。
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