玉勝間 / 十二の巻 魚のさしみと云ふ物
同記、同年同月十五日の所に、二献冷麵居之、鯛指身居之。
新字:同記、同年同月十五日の所に、二献冷麺居之、鯛指身居之。
書き下し
同じ記、同じ年同じ月十五日の所に、二献に冷麺これを居う、鯛の指身これを居う。
現代語訳
同じ記(康富記)の、同じ年の同じ月十五日の条に、「二献目に冷麺を出し、鯛の刺身を出した」とある。
解説
「刺身」という言葉が室町時代の記録にすでに見えることを、一行の抜き書きで示した段である。文安五年八月十五日の宴で、二献目の肴として冷麺と鯛の「指身」が出された。刺身の語の古い用例として、今もよく引かれる記事である。「刺す」という字を避けて「指」と書いているのも面白い。武家の世に「切る」を忌んだため「刺身」と言ったという俗説もあるが、宣長はそうした語源の詮索には立ち入らず、ただ用例だけを示している。月見の宴に鯛の刺身と冷麺が並ぶ食卓は、今の私たちにも意外に近い。宣長は日々の食べ物の名にも古い記録の中で出会うと書き留めた。食の歴史は、こうした記録の片隅の一行によってたどられる。
関連する章句
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