玉勝間 / 十二の巻 開帳と云ふわざ
同記に、文安元年十月二日、栂尾春日大明神御影、御帳被開之。南都大乘院被所望申、被開之。此次所望之族、上下道俗男女、拜見無子細之由、兼有其聞之間、奉伴〓大外史並藏氷等、今日參之、令拜見了。其儀、有開帳、寺家之衆有講論之儀式。其後南都衆、有法樂之後、大乘院殿有御拜見、御退出之後、諸人群集、頗狼藉之躰也。栂尾本堂ヨリ、遙東倚テ、有檜皮葺堂一宇、(南面也)春日御影、西向ニ奉懸之。繪像、住吉御影彼是、兩舖也。殊勝云云と見えたり。今の世の開帳と云ふ事のさまなり。目錄に、栂ノ尾開帳ノ事とあるは、後に書たる物なるべし。
新字:同記に、文安元年十月二日、栂尾春日大明神御影、御帳被開之。南都大乗院被所望申、被開之。此次所望之族、上下道俗男女、拝見無子細之由、兼有其聞之間、奉伴〓大外史並蔵氷等、今日参之、令拝見了。其儀、有開帳、寺家之衆有講論之儀式。其後南都衆、有法楽之後、大乗院殿有御拝見、御退出之後、諸人群集、頗狼藉之体也。栂尾本堂ヨリ、遥東倚テ、有檜皮葺堂一宇、(南面也)春日御影、西向ニ奉懸之。絵像、住吉御影彼是、両舖也。殊勝云云と見えたり。今の世の開帳と云ふ事のさまなり。目録に、栂ノ尾開帳ノ事とあるは、後に書たる物なるべし。
書き下し
同じ記に、文安元年十月二日、栂尾の春日大明神の御影、御帳これを開かる。南都大乗院所望申さるれば、これを開かる。この次に所望の族、上下道俗男女、拝見子細無きの由、兼ねてその聞こえ有るの間、大外史並びに蔵氷等を伴い奉りて、今日参り、拝見せしめ了んぬ。その儀、開帳有り、寺家の衆講論の儀式有り。その後南都の衆、法楽有るの後、大乗院殿御拝見有り、御退出の後、諸人群集し、頗る狼藉の体なり。栂尾の本堂より、遥か東に倚りて、檜皮葺の堂一宇有り、(南面なり)春日の御影、西向きにこれを懸け奉る。絵像、住吉の御影かれこれ、両舗なり。殊勝云云と見えたり。今の世の開帳と云う事のさまなり。目録に、栂の尾開帳の事とあるは、後に書きたる物なるべし。
現代語訳
同じ記(康富記)に、「文安元年(1444)十月二日、栂尾の春日大明神の御影(みえい)の御帳が開かれた。奈良の大乗院が所望されたので開かれたのである。このついでに、所望する者は、身分の上下、僧俗男女を問わず拝見して差し支えないと前もって聞いていたので、大外史(大外記)と蔵氷らをお伴して今日参詣し、拝見した。その次第は、開帳があり、寺の衆による講論の儀式があった。その後、奈良の衆の法楽があった後、大乗院殿がご拝見になり、ご退出の後、人々が群がり集まって、ひどく乱雑なありさまであった。栂尾の本堂からはるか東に寄って、檜皮葺の堂が一宇あり(南向きである)、春日の御影を西向きに懸け申し上げていた。絵像で、住吉の御影とあわせて二幅である。まことに尊いことであった」うんぬんと見えている。今の世の開帳ということの様子である。(康富記の)目録に「栂尾開帳の事」とあるのは、後に書いたものであろう。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 神社にてほうしをして仏の経をよましむる事同紀に、斉衡元年四月、伝灯大法師位智戒興智真秀、伝灯法師位明昭玄永、伝灯満位僧基蔵基秀を遣わし、七道諸国の名神社に向かい、般若を転読せしむ、民の福を祈るなり。また同三年九月、僧を賀茂松尾大神社に請い、金剛般若経を読ましむ、三日を限りて訖う。また天安元年五月にも、同じ事あり。すべてかかるたぐいの事は、いかなる事にか有りけむ。
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『玉勝間』十一の巻 神社の湯立同記に云わく、同月廿九日、粟田口神明に湯立有り。参詣して拝見す。
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『玉勝間』十一の巻 諏訪の縁起絵同記に云わく、同十一月廿六日、伏見殿に参る、宮の御方の御読に候す、大御所御出座有りて、御雑談に及ぶ。諏方縁起絵の事、次いで有りて申し上げ候処、未だ御覧ぜられざる絵なり。媒介を致して借り進ずべきの由仰せられおわんぬ。申し試むべきの由申し上ぐ、云云。同十二月一日、諏方縁起の絵(十二巻)、借り進ずべきの由、伏見殿より仰せらる。諏方将監候う間、その由予仰せを伝えしむ。今日持ち来るの間、即ち同道して伏見殿に参り、件の縁起の辛櫃、これを借り進上す。庭田少将〓これを継がれ、悦び思し召さるるの由仰せ有り、金覆輪一振諏方に下さる。件の縁起の外題、後光厳院殿これを遊ばされ、等持院殿毎奥に御名字を載せらるる者なり。予去る夏の比、伊勢兵庫助において拝見す。
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『玉勝間』一の巻 三社の託宣といふ物同記に曰く、文亀二年二月十日、侍従二位(兼倶卿)所望の三社託宣、并びに天神の名号、云々。以上今日之を書きて之を遣わす、また、同十七日、三社託宣一幅、兼永朝臣の所望にて之を書く。
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『玉勝間』九の巻 春日ノ社みづがきを廻廊に造リかへらるる事同書に、治承二年五月卅日、春日社、今度修造の時、瑞垣を改めて廻廊を造るべきの由、衆徒奏状を進む、申請に依りて、御卜を行わるるの処、宣下せられ畢んぬ、而るに社家申す旨有るに依りて、官奏共に不快の由之を申す、而るに衆徒申して云う、卜の吉凶に依るべからずと、仍りて諸卿に問わる、猶本社に祈請して、覆推有るべきの由、之を定め申す、遂に瑞垣を改め、廻廊を造る、と見えたり。官奏の奏の字は、寮を誤れるなるべし。官は神祇官、寮は陰陽寮なり。さてこれになずらえて思うに、すべて国々の神社のつくりざま、古えのとは、変わりきぬる程、おしはかられたり。又御卜の吉凶は、神の御心なるに、それにも従わず、ひたぶるにほうしの心なりけん。まがつひのまがことは、せんかたも無きわざなりけり。
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『玉勝間』十三の巻 神社の号某明神と云ふ事続後紀、承和十五年のところに、山崎明神と見え、文徳実録、斉衡二年に、吉備津彦名明神など見え、三代実録、仁和二年の宣命には、松尾大明神とも有り。これらより前にも、見えたるようにも覚ゆれども、今さだかには覚えず。又文徳実録、仁寿元年の処に、詔して近江国の散久難度神を以て、明神に列す、三代実録、貞観七年の処に、諸明神の神田に充て奉る、などあるをもて見れば、もろもろの神社の中に、殊に明神と云う列の有りしにやあらむ。
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