玉勝間 / 一の巻 三社の託宣といふ物
同記に曰く、文龜二年二月十日、侍從二位(兼倶卿)所望之三社託宣、井天神名號、云云以上今日書之遺之、また、同十七日、三社託宣一幅、兼永朝臣所望書之。
新字:同記に曰く、文亀二年二月十日、侍従二位(兼倶卿)所望之三社託宣、井天神名号、云云以上今日書之遺之、また、同十七日、三社託宣一幅、兼永朝臣所望書之。
書き下し
同記に曰く、文亀二年二月十日、侍従二位(兼倶卿)所望の三社託宣、并びに天神の名号、云々。以上今日之を書きて之を遣わす、また、同十七日、三社託宣一幅、兼永朝臣の所望にて之を書く。
現代語訳
同じ日記にこうある。「文亀二年二月十日。侍従二位(兼倶卿)が所望した三社託宣と天神の名号を、今日書いて遣わした。」また「同十七日。三社託宣一幅を、兼永朝臣(兼倶の子)の所望で書いた。」
解説
三社託宣と呼ばれるものの由来に触れた短い抜き書きである。三社託宣とは、天照大神・八幡大菩薩・春日大明神の三神の託宣を一幅に記したもので、室町から江戸にかけて掛け軸として広く家々に掛けられた。宣長は、それを公家の宣胤が、吉田兼倶やその子兼永に頼まれて書いていた事実を日記から拾い出している。題に「といふ物」と距離を置いた言い方をしているのは、宣長がこれを古い神の教えとは見ず、中世に吉田家あたりが広めたものと考えていたからであろう。世に尊ばれているものが、いつ誰の手で作られ広まったのかを、同時代の記録で確かめる。出どころを確かめる目は、今の情報の見方にも欠かせない。
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 神拝口伝といふ事同記に云う、文明十二年十二月二日、吉田社に参詣す、兼倶卿の宿所咫尺の間、立ち寄りて日本紀御談義に参る事を賀す、対面して相語りて云う、神拝口伝の事、諸家競いて御尋ね有り、然るに此の六七十年以来、一向に問わるる事無し、諸家敬神無きか云々、余は敬神他に異なる以来、次いで授くべしと云々、則ち之を口伝す。三日、状を吉田神主に遣わす、昨日の面談、千載一遇たり候、殊に神拝御口伝の事、深く心中に秘し候、恩許手足の舞踏を知らず候、欣悦の余り、重ねて参り申すべきの処、遅々、先ず短章を献じ候、何様連々神道の事、御指南を仰ぐべく候、恐々謹言、宣胤、十二月三日、吉田殿。
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『玉勝間』十三の巻 神社の号某明神と云ふ事続後紀、承和十五年のところに、山崎明神と見え、文徳実録、斉衡二年に、吉備津彦名明神など見え、三代実録、仁和二年の宣命には、松尾大明神とも有り。これらより前にも、見えたるようにも覚ゆれども、今さだかには覚えず。又文徳実録、仁寿元年の処に、詔して近江国の散久難度神を以て、明神に列す、三代実録、貞観七年の処に、諸明神の神田に充て奉る、などあるをもて見れば、もろもろの神社の中に、殊に明神と云う列の有りしにやあらむ。
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『玉勝間』三の巻 宣命料紙の色同記に云う、宣命の料紙、伊勢は緑、賀茂は紅、余は黄。
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『玉勝間』十四の巻 神社の位階の事同じく天武天皇の御巻に、軍政既に訖りて、将軍等、この三神の教言を挙げて、これを奏す。即ち勅して三神の品を登げ進めて以て祠るとみえたる。品とは、位階を云えるか。もし然らばこれ、神社に位を授け奉り給うことの、物に見えたる始めと云うべし。されどこれは、必ずしも位階にはあらで、ただその社の班列をあげ給えるにも有るべし。三神の教言の事は、件の文の上に出でたり。
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『玉勝間』七の巻 おのが仕、奉る神を尊き神になさまほしくする事中昔よりして、神主・祝部のともがら、己が仕え奉る社の神を、有るが中にも尊き神にせまほしく思いては、古き伝えの有る御名をば、隠して、或いは国常立の尊をまつれり、天照大神を祭れり、神武天皇をまつれりなど云いて、例の神秘のむね有りげに、似つかわしく作りなして偽るたぐい、世に多し。おのれ尊き神につかうる者にならむとて、その仕え奉る神を、わたくしに心にまかせて、偽り奉るは、いともかしこき、みだり事ならずや。
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『玉勝間』十一の巻 三部神経と云ふ偽書の事三部の神経と云う物あり、天元神変神妙経、地元神通神妙経、人元神力神妙経これなり。みな天の児屋根の命の神宣なるを、後に北斗七元星宿真君降り来て、漢字にうつして、経とすと、或るものに云えり。昔はかばかり拙なき事を造り云いても、世の人はあざむかれしなり。その書はいまだ見ざれども、まず題号のよう、からぶみ仏ぶみを、うらやみへつらいたる程、いとおかし。神道者と云うともがらの家には、かかるおかしき書ども多かるなり。
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