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玉勝間 / 十二の巻 事代主ノ神と建御名方ノ神との御事

事代主ノ神と建御名方ノ神とは、ともに大國主ノ神の御子にて、ことに威勢盛りなる神におはせしを、事代主ノ神は、天ッ神の詔命をかしこみて、すみやかに服從ひ給ひて、永く皇御孫ノ命のやむことなき守り神として、大倭ノ國に、飛鳥高市葛城など、所所に鎭座て、朝廷より重く社り給ひ、神祇官の八柱ノ神の中にも、祭り給へり。建御名方ノ神は、大命にしたがひ給はざりしを、信濃ノ國の諏訪まで、追〓攻〓、殺さむとせし時に、此〓處をおきて他處には行かじ、命たすけ給へと、のみ申シ給へりき。されぼこそ建御名方ノ神は、古には、かの信濃の諏訪水內などをはなちて、他には祭る社もをさをさ聞えざりしか。然るに今の世ノ中には、諏訪と號て、此神を祭る社、國國に此所彼所に有て信濃なるは更にも云はず、其社いづれも、ほどほどに榮え給ふを、事代主ノ神を祭る社は、古、のも皆衰へ給ひ、其外には、後にいはへる社も、をさをさ聞えざるなり。そもそも天ッ神の詔命にしたがひ給ひて、朝廷の御守ッ神となり給へる神の御社は、みな然おとろへ坐て、詔命にしたがひ給はざりし神の御社しも、多くなりて、榮えますは、如何なる事にか有らむ。神の御しわざは、世にことわりはかり難き物にぞ有ける。されどこは、いささか思ひ合さるる事、無きにしもあらずなむ。

新字:事代主ノ神と建御名方ノ神とは、ともに大国主ノ神の御子にて、ことに威勢盛りなる神におはせしを、事代主ノ神は、天ッ神の詔命をかしこみて、すみやかに服従ひ給ひて、永く皇御孫ノ命のやむことなき守り神として、大倭ノ国に、飛鳥高市葛城など、所所に鎮座て、朝廷より重く社り給ひ、神祇官の八柱ノ神の中にも、祭り給へり。建御名方ノ神は、大命にしたがひ給はざりしを、信濃ノ国の諏訪まで、追〓攻〓、殺さむとせし時に、此〓処をおきて他処には行かじ、命たすけ給へと、のみ申シ給へりき。されぼこそ建御名方ノ神は、古には、かの信濃の諏訪水内などをはなちて、他には祭る社もをさをさ聞えざりしか。然るに今の世ノ中には、諏訪と号て、此神を祭る社、国国に此所彼所に有て信濃なるは更にも云はず、其社いづれも、ほどほどに栄え給ふを、事代主ノ神を祭る社は、古、のも皆衰へ給ひ、其外には、後にいはへる社も、をさをさ聞えざるなり。そもそも天ッ神の詔命にしたがひ給ひて、朝廷の御守ッ神となり給へる神の御社は、みな然おとろへ坐て、詔命にしたがひ給はざりし神の御社しも、多くなりて、栄えますは、如何なる事にか有らむ。神の御しわざは、世にことわりはかり難き物にぞ有ける。されどこは、いささか思ひ合さるる事、無きにしもあらずなむ。

書き下し

事代主の神と建御名方の神とは、ともに大国主の神の御子にて、ことに威勢盛りなる神におわせしを、事代主の神は、天つ神の詔命をかしこみて、すみやかに服い給いて、永く皇御孫の命のやんごとなき守り神として、大倭の国に、飛鳥・高市・葛城など、所々に鎮まり坐して、朝廷より重く社り給い、神祇官の八柱の神の中にも、祭り給えり。建御名方の神は、大命にしたがい給わざりしを、信濃の国の諏訪まで、追い攻めて、殺さむとせし時に、この処をおきて他処には行かじ、命たすけ給えと、のみ申し給えりき。さればこそ建御名方の神は、古には、かの信濃の諏訪・水内などをはなちて、他には祭る社もおさおさ聞えざりしか。然るに今の世の中には、諏訪と号けて、この神を祭る社、国々にここかしこに有りて信濃なるは更にも云わず、その社いずれも、ほどほどに栄え給うを、事代主の神を祭る社は、古のも皆衰え給い、その外には、後にいわえる社も、おさおさ聞えざるなり。そもそも天つ神の詔命にしたがい給いて、朝廷の御守り神となり給える神の御社は、みな然おとろえ坐して、詔命にしたがい給わざりし神の御社しも、多くなりて、栄えますは、如何なる事にか有らむ。神の御しわざは、世にことわりはかり難き物にぞ有りける。されどこは、いささか思い合わさるる事、無きにしもあらずなむ。

現代語訳

事代主神と建御名方神とは、ともに大国主神の御子で、とりわけ威勢の盛んな神であられたが、事代主神は天つ神の詔命を畏んで速やかに服従なさり、永く皇孫の尊い守り神として、大和国の飛鳥・高市・葛城など所々に鎮座され、朝廷から重く祀られ、神祇官の八柱の神の中にも祀られた。建御名方神は大命に従われなかったので、信濃国の諏訪まで追い攻めて殺そうとしたとき、「この地を除いてはほかの所へは行きません。命をお助けください」とだけ申された。だからこそ建御名方神は、昔は信濃の諏訪・水内などを除いて、ほかには祀る社もほとんど聞かなかったのである。ところが今の世の中では、諏訪と名づけてこの神を祀る社が国々のあちこちにあり、信濃のものは言うまでもなく、その社はいずれもそれなりに栄えておられるのに、事代主神を祀る社は、古くからのものもみな衰えておられ、そのほかに後に祀った社もほとんど聞かない。そもそも天つ神の詔命に従われて朝廷の御守り神となられた神の御社がみなそのように衰えておられ、詔命に従われなかった神の御社のほうが多くなって栄えておられるのは、どういうことであろうか。神の御しわざは、世の理屈でははかりがたいものである。けれどもこれについては、少し思い当たることが無いわけでもない。

解説

古事記の国譲りの神話に登場する二柱の神の、その後の祀られ方を比べた段である。事代主神は天つ神の命に素直に従って皇孫の守り神となり、大和の各地や神祇官で重く祀られた。建御名方神は従わずに抵抗し、諏訪まで追われて、この地を出ないと命乞いをした。ところが宣長の時代には、諏訪の神の社は国中に広まって栄え、事代主神の社はかえって衰えている。宣長はこの逆転を、神のしわざは人の理ではかりがたいと受け止める。これは善悪の理屈で神を裁かない、宣長の神観の中心にある考えである。末尾の「少し思い当たることが無いでもない」には、その中身を書いていない。書かれなかった含みは読者に委ねられている。理屈どおりにならない世の中を、そのまま受け止める構えが見える。

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