玉勝間 / 十二の巻 鼻蔵
おなじ物語に、藏人得業惠印と云ふ僧、鼻大きにて赤かりければ、大鼻の藏人得業と云ひけるを、後には鼻藏人と云ひ、なほ又後には鼻藏鼻藏と云ひたるよし云へり。かの曾丹後ノ掾を、はぶきはぶきて、曾丹と云へりしと、同じ物がたりなり。
新字:おなじ物語に、蔵人得業恵印と云ふ僧、鼻大きにて赤かりければ、大鼻の蔵人得業と云ひけるを、後には鼻蔵人と云ひ、なほ又後には鼻蔵鼻蔵と云ひたるよし云へり。かの曽丹後ノ掾を、はぶきはぶきて、曽丹と云へりしと、同じ物がたりなり。
書き下し
おなじ物語に、蔵人得業恵印と云う僧、鼻大きにて赤かりければ、大鼻の蔵人得業と云いけるを、後には鼻蔵人と云い、なおまた後には鼻蔵鼻蔵と云いたるよし云えり。かの曾丹後の掾を、はぶきはぶきて、曾丹と云えりしと、同じ物がたりなり。
現代語訳
同じ物語(宇治拾遺物語)に、蔵人得業恵印(えいん)という僧が、鼻が大きくて赤かったので「大鼻の蔵人得業」と呼んでいたのを、後には「鼻蔵人」と言い、さらに後には「鼻蔵、鼻蔵」と言うようになった、と書いてある。あの曾丹後掾(曾禰好忠)を省きに省いて「曾丹」と呼んだのと、同じような話である。
解説
あだ名が省略を重ねて短くなってゆく例を、宇治拾遺物語の話から拾った段である。奈良の僧恵印は鼻が大きく赤いので「大鼻の蔵人得業」と呼ばれ、それが「鼻蔵人」になり、ついには「鼻蔵」になった。この僧は、猿沢の池から竜が昇ると立て札を立てて人をかつぐ話の主人公として知られる。宣長はこれを、歌人の曾禰好忠が丹後掾であったので「曾丹後掾」が「曾丹後」になり、さらに「曾丹」と縮められた話と並べる。人の呼び名は、使われるうちに削られてゆく。言葉の省略という現象を、あだ名という身近な例で示している。今も長い名前や言葉を略して呼ぶのは日常茶飯事で、その心理は千年前から変わらない。宣長の目は、滑稽な逸話の中にも言葉の変化の法則を見ている。
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