玉勝間 / 十の巻 たんざく
三代實錄廿七の卷に、短籍と見え、又卅五の卷に、短册とも見えたり。但し歌を書ノ物にはあらず。
新字:三代実録廿七の巻に、短籍と見え、又卅五の巻に、短册とも見えたり。但し歌を書ノ物にはあらず。
書き下し
三代実録廿七の巻に、短籍と見え、また卅五の巻に、短冊とも見えたり。但し歌を書く物にはあらず。
現代語訳
日本三代実録の巻二十七に「短籍」と見え、また巻三十五に「短冊」とも見えている。ただし、歌を書く物ではない。
解説
短冊という言葉の古い用例を記したごく短い段である。宣長は、平安前期の正史である日本三代実録に「短籍」「短冊」の字がすでに見えることを指摘し、ただしそれは歌を書くための紙ではないと断っている。三代実録の短籍は、何かを書き付けるための細長い札のことである。今の私たちは短冊と聞けば七夕の願い事や和歌を書く色紙を思い浮かべるが、言葉が古くからあることと、その物が今と同じ用途であったこととは別である。宣長はこの区別を一行で押さえている。言葉の形が同じでも中身が変わっていることは珍しくなく、古い用例を見つけたときに、今の意味を当てはめて早合点しない注意が要る。この巻に並ぶ短い語の考証は、どれもこの慎重さに貫かれている。
関連する章句
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『玉勝間』十四の巻 短籍書紀の斉明天皇の御巻に、或本に云う、有間皇子と云云短籍を取りて、謀反の事をトうとある。短籍と云う物、これに始めて見えたり。ヒネリブミと訓めり。続紀十の巻にも見え、その後の書どもにも、おりおり見えたり。続紀なるも、ひねりぶみと云いてよろし。されどこの物、ひねりぶみには限らず。何事にまれ、ただいささかの事を書く物なり。但し歌を書くは、遥かに後のことなり。
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『玉勝間』十の巻 しをり六帖に、山の題の歌に、「しおりして行かまし物をあいづ山いるよりまどう道と知りせば。しおりと云う物、これに見えたるなどや、始めならむ。なお古く有るか、覚えずなん。
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『玉勝間』六の巻 俵と云ふもじ俵と云う字、延喜式に見ゆ。なお先には、承和十一年十一月二日の太政官符にも見えて、類聚三代格に載れり。
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『玉勝間』八の巻 口状三代実録十三の巻、宣命の中に、口状と云うこと有り、今の世に口上と云うは是れなり。口状を口上と書くは、物語書に、几帳を几丁、本性を本上と書けるたぐいなり。
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『玉勝間』八の巻 端に反ノ字を書く事台記に、布三反、布二反など有り。その頃も、端を反と書りしなり。
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『玉勝間』十二の巻 檀紙と高檀紙とは別なる事同じ書に、御製の御懐紙、高檀紙か否かの事云云、御製は高檀紙に遊ばされ了んぬ、中殿の御会以前は、普通の檀紙に候か云云。
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