玉勝間 / 八の巻 杉原と云ふ紙
園大曆にいはく、康永三年二月廿一日、今日予上左大臣表狀也、草事云云、尋常榲原、(二枚續之)不加禮紙、(違先例如何)本儀事、高檀紙可加禮紙也、但榲原又常事と有り。杉原と云ふ紙、是れより先のふみにも見えたるか、知らねど、見あたりたるままに。
新字:園大暦にいはく、康永三年二月廿一日、今日予上左大臣表状也、草事云云、尋常榲原、(二枚続之)不加礼紙、(違先例如何)本儀事、高檀紙可加礼紙也、但榲原又常事と有り。杉原と云ふ紙、是れより先のふみにも見えたるか、知らねど、見あたりたるままに。
書き下し
園大暦に曰わく、康永三年二月二十一日、今日予左大臣の表状を上る、草の事云云、尋常の榲原(二枚之を続ぐ)、礼紙を加えず(先例に違う如何)、本儀の事、高檀紙に礼紙を加うべきなり、但し榲原又常の事、と有り。杉原と云う紙、是れより先のふみにも見えたるか、知らねど、見あたりたるままに。
現代語訳
園太暦にいう。「康永三年二月二十一日、今日、私は左大臣の辞表を奉った。草稿のことは云々。ふつうの榲原(杉原紙。二枚を継いだ)で、礼紙は添えなかった(先例に違うがどうか)。本来の作法では、高檀紙に礼紙を添えるべきである。ただし杉原もまたふつうのことである」とある。杉原という紙が、これより前の書物にも見えるかどうかは知らないが、見当たったままに記す。
解説
中世に広く使われた和紙「杉原紙」の古い用例を、園太暦から書き留めた段である。杉原紙は播磨国の杉原谷で漉かれた紙で、柔らかく使いやすいため、公家や武家の書状、贈答などに重宝された。洞院公賢は左大臣の辞表を奉る際、正式には上質の高檀紙に礼紙を添えるべきところを、ふつうの杉原紙で済ませ、先例に違うのではと気にかけながらも、杉原もまた普通に使われると記している。紙の種類ひとつにも格式の上下があり、公家たちがそれに細かく気を配っていたことが分かる。宣長は、これより古い用例があるかどうかは分からないが、見つけたので記しておくと率直に書く。確かめきれないことをそうと断ったうえで記録するのは、宣長の誠実な態度である。書く道具の選び方に礼儀が込められていた時代の感覚が伝わってくる段である。
関連する章句
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『玉勝間』十二の巻 檀紙と高檀紙とは別なる事同じ書に、御製の御懐紙、高檀紙か否かの事云云、御製は高檀紙に遊ばされ了んぬ、中殿の御会以前は、普通の檀紙に候か云云。
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