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玉勝間 / 十二の巻 風引たるを咳気と云ふ事

此わたりの人ふるくは、風引たることを、がいきと云へりき。宣長が若かりし程までは、なべて云へりし言なるを、今はさ云ふこと、をさをさ聞かず。これも古きことなり。中昔五六百年さきの記錄などに、風病をおほく咳氣としるせり。

新字:此わたりの人ふるくは、風引たることを、がいきと云へりき。宣長が若かりし程までは、なべて云へりし言なるを、今はさ云ふこと、をさをさ聞かず。これも古きことなり。中昔五六百年さきの記録などに、風病をおほく咳気としるせり。

書き下し

このわたりの人ふるくは、風引きたることを、がいきと云えりき。宣長が若かりし程までは、なべて云えりし言なるを、今はさ云うこと、おさおさ聞かず。これも古きことなり。中昔五六百年さきの記録などに、風病をおおく咳気としるせり。

現代語訳

このあたり(伊勢松坂)の人は、古くは風邪を引いたことを「がいき」と言っていた。宣長が若かったころまでは一般に言っていた言葉だが、今はそう言うのをほとんど聞かない。これも古い言葉である。中ごろの昔、五、六百年前の記録などに、風邪のことを多く「咳気」と記している。

解説

風邪を「がいき(咳気)」と呼んだ地元の言葉の来歴を記した段である。宣長は松坂の医師でもあり、病の呼び名には特に関心があったのだろう。自分が若いころには誰もが使っていたのに、晩年にはほとんど聞かなくなったという証言は、一人の人間の生涯のうちに言葉が消えてゆく様子を生々しく伝えている。そしてその語は、鎌倉・室町のころの公家の日記に「咳気」として頻繁に見えるもので、決して田舎の訛りではなかったと確かめている。宣長の考証には、書物の用例と、自分の耳で聞いてきた言葉の記憶とが並んで働いている。私たちの周りでも、祖父母の世代の言葉はいつのまにか聞かれなくなる。記録しておくことの意味を考えさせる一段である。

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