玉勝間 / 十二の巻 十八日をとをかやうかと云へる事
榮華物語こまくらべの卷、善滋「爲政が文に。九月十八日を、ながづきのとをかやうかと云へり。とをかあまりやうかと云ふべきを、はぶきて云へるは、いかがなれども、上のかをはぶかざるは、さすがに古へなり。今の人、上のかを云はずして、とをあまりやうかとやうに書くは、古、の例にたがへり。
新字:栄華物語こまくらべの巻、善滋「為政が文に。九月十八日を、ながづきのとをかやうかと云へり。とをかあまりやうかと云ふべきを、はぶきて云へるは、いかがなれども、上のかをはぶかざるは、さすがに古へなり。今の人、上のかを云はずして、とをあまりやうかとやうに書くは、古、の例にたがへり。
書き下し
栄華物語こまくらべの巻、善滋為政が文に。九月十八日を、ながづきのとおかようかと云えり。とおかあまりようかと云うべきを、はぶきて云えるは、いかがなれども、上のかをはぶかざるは、さすがに古えなり。今の人、上のかを云わずして、とおあまりようかとように書くは、古の例にたがえり。
現代語訳
『栄花物語』の「駒競べ」の巻に載る善滋為政(よししげのためまさ)の文に、九月十八日を「ながづきのとをかやうか」と言っている。「とをかあまりやうか」と言うべきところを省いて言ったのはどうかと思うが、上の「か」を省かないのは、さすがに古い言い方である。今の人が上の「か」を言わずに「とをあまりやうか」のように書くのは、古い例に外れている。
解説
日付の和語での言い方をめぐる考証である。十八日は正しくは「とをかあまりやうか(十日余り八日)」と言うべきところ、平安中期の文人善滋為政は「あまり」を省いて「とをかやうか」と書いた。宣長はこの省略には首をかしげつつも、上の「とをか」の「か」を落としていない点を「さすがに古え」と評価する。ところが宣長の時代の人は「とをあまりやうか」と書き、むしろ「か」の方を落としている。これは古い例に合わないというのである。和文で日付を書く雅文の作法にまで、宣長は古い用例を物差しにした。ささいに見える違いだが、古人が守った語の形を崩さずに書くことが、古えの言葉を今に生かすという宣長の歌文の学びの中身であった。
関連する章句
-
『玉勝間』十三の巻 年号月日をあやに書るふるき例源の為憲の、天禄の歌合の跋のとじめに、天禄という年はじまりて三とせの、秋のなかばなる月の、しもの十日に、いまふつかおきての事なりと書けり。年はじまりてと云える事いかがなり。又いま二日おきてもいかが。
-
『玉勝間』十二の巻 さかゆるをさかふると云ふはひがことなるよし栄ゆると云う言を、近き世には、さかうると云うを善しと心得て、然書くはいみしきひがことなり。古えはさらにも云わず、台記の別記にも、故尼上の侍女栄とある、栄は侍女の名なり、これを左加由留とも書かれたり。かの頃までも、さかうるとは云わざりし事知るべし。聞ゆるをきこうると書くも、同じひがことなり。
-
『玉勝間』十三の巻 十をつつと云ふ事文選の古き訓に、十をツツと訓めり。下のつは、一つ二つなどのつなり、上のつは、とと通う音なれば、即ち十なり。俗に、つづやはたちと云いて、つづを、十九の事とするはいかが。こはもと十や廿と云いしを、十九廿に誤れるか。
-
『玉勝間』五の巻 かしらかたくといはふ事栄花物がたり、浦々の別の巻に、かしらだにかたくおわしまさば、一天の君にこそおわしますめれ、と有り。今の世の言に、かみかたくと祝うは、これに同じ。
-
『玉勝間』十二の巻 長持と云ふ物栄華物語若枝の巻に、なかもちからびつのふたに、いとおどろおどろしゅうたたみいれて、うちかさねて、二人などかきて、もてくるも有り、と有り。これ今の世にいう長持と聞えたり。この名うつほの物語にも見えたるを、その巻をわすれたり。
-
『玉勝間』九の巻 目録目録の事を、栄花物語はつ花の巻に、物のかず書きたるふみ、柳筥にいれてまいれりと有り。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る