玉勝間 / 十二の巻 八人のやをとめ
俗に八人のやをとめと云ふこと有リ。土御門ノ內大臣通親公の、嚴島御幸の記に、御神樂のやをとめ八人と見えたり。
新字:俗に八人のやをとめと云ふこと有リ。土御門ノ内大臣通親公の、厳島御幸の記に、御神楽のやをとめ八人と見えたり。
書き下し
俗に八人のやおとめと云うこと有り。土御門の内大臣通親公の、厳島御幸の記に、御神楽のやおとめ八人と見えたり。
現代語訳
世俗に「八人の八乙女(やおとめ)」ということがある。土御門内大臣源通親公の『高倉院厳島御幸記』に、「御神楽の八乙女八人」と見えている。
解説
神楽を舞う巫女を「八乙女」と呼び、しかも「八人の八乙女」と重ねて言う俗な言い方が、古くからあったことを示した短い段である。典拠は、治承四年(1180)に高倉上皇が安芸の厳島神社へ御幸した折の記録で、源通親が記した紀行である。そこにすでに「御神楽のやをとめ八人」とあるから、重ね言葉めいた言い方も、決して近ごろの訛りではないというのである。宣長はたびたび、世俗の言い回しを頭から誤りと退けず、古い書物に用例を探して、その来歴を確かめている。俗語の中にも古い言葉が生きているという見方は、言葉を生きた歴史として捉える国学の姿勢そのものである。耳慣れた言葉をすぐに正しい・誤りと裁かず、まず来歴を尋ねるという態度が見える。
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