玉勝間 / 十二の巻 二月の初"の午ノ日観音にまうづる事
水鏡の序にいはく。此尼ことし七十三になむ成り侍る。三十三を過がたく、相人なども申しあひたりしかば、岡寺はやくをてんじ給ふとうけ給はりて、まうでそめしより、つつしみのとしごとに、きさらぎのはつ午の日、まゐりつるしるしにこそ、今まで世に侍れば、今年つつしむべきとしにて參りつる云云とあり。
新字:水鏡の序にいはく。此尼ことし七十三になむ成り侍る。三十三を過がたく、相人なども申しあひたりしかば、岡寺はやくをてんじ給ふとうけ給はりて、まうでそめしより、つつしみのとしごとに、きさらぎのはつ午の日、まゐりつるしるしにこそ、今まで世に侍れば、今年つつしむべきとしにて参りつる云云とあり。
書き下し
水鏡の序にいわく。この尼ことし七十三になむ成り侍る。三十三を過ぎがたく、相人なども申しあいたりしかば、岡寺はやくおてんじ給うとうけたまわりて、もうでそめしより、つつしみのとしごとに、きさらぎのはつ午の日、まいりつるしるしにこそ、今まで世に侍れば、今年つつしむべきとしにて参りつる云云とあり。
現代語訳
『水鏡』の序にこうある。「この尼は今年七十三になりました。三十三歳を越えるのは難しいと人相見なども口々に申しましたので、岡寺が厄を転じてくださると伺って、参詣し始めてから、慎むべき厄年ごとに、二月の初午の日にお参りしてきたしるしで、今まで生きながらえておりますので、今年も慎むべき年なので参詣しました」うんぬん。
解説
二月の初午の日に観音に詣でる習わしが古くからあったことを、鎌倉時代の歴史物語『水鏡』の序から示した段である。水鏡は、七十三歳の老尼が大和の岡寺(龍蓋寺、本尊は如意輪観音)に参籠し、そこで仙人から聞いた昔語りを記すという枠組みで書かれている。その冒頭で尼は、三十三歳を越えられまいと人相見に言われ、厄を転じてくれるという岡寺に厄年ごとに初午の日に参ってきたおかげで長生きした、と語る。宣長は物語の筋よりも、その語りに映った当時の信仰の習俗に目を留めた。厄年や初午の参詣という、今も残る暦の習いの古さを確かめるのに、物語の片隅の一文を拾っている。文学作品を、当時の暮らしを伝える資料としても読むという宣長の読み方がうかがえる。
関連する章句
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