玉勝間 / 十二の巻 ひろぶた
廣蓋と云ふ物、園大曆などに見えたり。又白重の日記に、一品の禪尼の御局よりは、いときよげなるまきゑのひろぶたに、おり物のきぬ一領おきて、など見えたり。此日記は、姉小路ノ中納言基綱ノ卿の、延德二年の御法會の事をしるされたるものなり。
新字:広蓋と云ふ物、園大暦などに見えたり。又白重の日記に、一品の禅尼の御局よりは、いときよげなるまきゑのひろぶたに、おり物のきぬ一領おきて、など見えたり。此日記は、姉小路ノ中納言基綱ノ卿の、延徳二年の御法会の事をしるされたるものなり。
書き下し
広蓋と云う物、園大暦などに見えたり。また白重の日記に、一品の禅尼の御局よりは、いときよげなるまきえのひろぶたに、おり物のきぬ一領おきて、など見えたり。この日記は、姉小路の中納言基綱の卿の、延徳二年の御法会の事をしるされたるものなり。
現代語訳
広蓋(ひろぶた)という物は、『園太暦』などに見えている。また『白重の日記』に、「一品の禅尼のお局からは、たいそう美しい蒔絵の広蓋に、織物の衣を一領置いて」などと見えている。この日記は、姉小路中納言基綱卿が、延徳二年(1490)の御法会のことを記されたものである。
解説
「広蓋」という道具の古い用例を書き留めた短い段である。広蓋はもとは衣箱の蓋で、縁の浅い大きな盆のような形をしており、衣服や贈り物を載せて差し出すのに使われた。宣長は南北朝期の公卿洞院公賢の日記『園太暦』と、室町時代の姉小路基綱の法会の記録から例を引き、蒔絵の広蓋に織物の衣を載せて贈った場面を示している。今も祝儀の品を載せる漆塗りの盆を広蓋と呼ぶことがあり、宣長のころにも身近な道具だったのだろう。身の回りの物の名がいつから、どのように使われてきたかを古記録で確かめるのは、有職故実を重んじた宣長のたゆまぬ習慣である。道具の名の一つにも歴史があり、それをたどると昔の暮らしや礼の形が見えてくる、という関心がこの短い覚え書きを支えている。
関連する章句
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