玉勝間 / 八の巻 かなごよみ
同物語に、かな曆と云ふ事あり、昔は眞名と假字との曆有しにや。さて又曆に、神佛に善しと云ふ日あり。今の曆本に、神よしとしるせるは、是れなるべし。又かん日くゑ日など、日の善き惡しきをしるせる事も見えたり。
新字:同物語に、かな暦と云ふ事あり、昔は真名と仮字との暦有しにや。さて又暦に、神仏に善しと云ふ日あり。今の暦本に、神よしとしるせるは、是れなるべし。又かん日くゑ日など、日の善き悪しきをしるせる事も見えたり。
書き下し
同じ物語に、かな暦と云う事あり、昔は真名と仮字との暦有りしにや。さて又暦に、神仏に善しと云う日あり。今の暦本に、神よしとしるせるは、是れなるべし。又かん日くえ日など、日の善き悪しきをしるせる事も見えたり。
現代語訳
同じ物語(宇治拾遺物語)に「仮名暦」ということがある。昔は漢字の暦と仮名の暦とがあったのであろうか。さてまた暦に「神仏によい」という日がある。今の暦に「神よし」と記しているのは、これであろう。また「坎日(かんにち)」「凶会日(くえにち)」など、日のよしあしを記していることも見える。
解説
宇治拾遺物語の「仮名暦」の話から、暦の注記の古さを確かめた段である。宇治拾遺物語には、ある女房が若い僧に仮名の暦を書いてもらったところ、僧がふざけて妙な禁忌を書き込み、女房が律儀に守って苦しんだという笑い話がある。宣長は、そこから昔は漢字の暦と仮名の暦があったのかと推し、さらに暦に書かれた「神仏によし」「坎日」「凶会日」などの吉凶の注記が、江戸の暦にある「神よし」などと同じものだと指摘する。暦注は陰陽道に基づくもので、日々の行いの吉凶を定めて人々の暮らしを縛っていた。宣長は陰陽の理屈そのものには批判的であったが、ここでは暦の書き方の古さを淡々と記録している。今も大安や仏滅を気にする習いが残るように、暦の吉凶は長く日本人の暮らしに根づいてきた。その根の深さを、一つの説話から見せてくれる段である。
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