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玉勝間 / 十二の巻 つつみなく又つつがなくと云ふ言

萬葉に、つつみなくと云ふ詞あるを、後世俗には、つつがなくと云へり。此言、から書に無恙と云へると、こころばへ同じき故に、古へより此字をあてたりと見えて、萬葉十三にも、恙無と書たり。これを今ノ本には、つつがなくと訓〓たれど、後の言なり、かの集には此言皆、つつみなくと云へれば、これも然訓ムべきなり。さてから書に無恙と云ふ言は、憂也病也と注し、又風俗通に、恙噬蟲、能食人心、古者草居、多被〓此毒、故相問-勞、曰無恙、と云へるに依って、つつがと云ふをも、虫ノ名と心得えて、此言を件の說によりて解くは、いみしきひが事なり。漢籍の恙も、憂也病也と云へるは、ことも無く聞えたるを、虫の名とせる件の說は、いと信がたきを、まして皇國にて、つつがなくと云ふは、かのつつみなくの轉れる言にて、つつがは、さらに虫の名にはあらず。たとひから書の恙は、まことに虫ノ名にもあれ、それにはかかはらぬ事なり。無恙の字をあてたるは、唯だ相問て云ふ心ばへの、よく似たる故のみにこそ有れ。萬葉には、つつむことなくとも、つつまはずとも云へるを以ても、虫の名にあらざる程を知るべし。

新字:万葉に、つつみなくと云ふ詞あるを、後世俗には、つつがなくと云へり。此言、から書に無恙と云へると、こころばへ同じき故に、古へより此字をあてたりと見えて、万葉十三にも、恙無と書たり。これを今ノ本には、つつがなくと訓〓たれど、後の言なり、かの集には此言皆、つつみなくと云へれば、これも然訓ムべきなり。さてから書に無恙と云ふ言は、憂也病也と注し、又風俗通に、恙噬虫、能食人心、古者草居、多被〓此毒、故相問-労、曰無恙、と云へるに依って、つつがと云ふをも、虫ノ名と心得えて、此言を件の説によりて解くは、いみしきひが事なり。漢籍の恙も、憂也病也と云へるは、ことも無く聞えたるを、虫の名とせる件の説は、いと信がたきを、まして皇国にて、つつがなくと云ふは、かのつつみなくの転れる言にて、つつがは、さらに虫の名にはあらず。たとひから書の恙は、まことに虫ノ名にもあれ、それにはかかはらぬ事なり。無恙の字をあてたるは、唯だ相問て云ふ心ばへの、よく似たる故のみにこそ有れ。万葉には、つつむことなくとも、つつまはずとも云へるを以ても、虫の名にあらざる程を知るべし。

書き下し

万葉に、つつみなくと云う詞あるを、後世俗には、つつがなくと云えり。この言、から書に無恙と云えると、こころばえ同じき故に、古えよりこの字をあてたりと見えて、万葉十三にも、恙無と書きたり。これを今の本には、つつがなくと訓みたれど、後の言なり、かの集にはこの言皆、つつみなくと云えれば、これも然訓むべきなり。さてから書に無恙と云う言は、憂なり病なりと注し、また風俗通に、恙は噬む虫、能く人の心を食らう、古は草居して、多くこの毒を被る、故に相問い労いて、恙無きやと曰う、と云えるに依って、つつがと云うをも、虫の名と心得て、この言を件の説によりて解くは、いみしきひが事なり。漢籍の恙も、憂なり病なりと云えるは、ことも無く聞えたるを、虫の名とせる件の説は、いと信がたきを、まして皇国にて、つつがなくと云うは、かのつつみなくの転れる言にて、つつがは、さらに虫の名にはあらず。たとい、から書の恙は、まことに虫の名にもあれ、それにはかかわらぬ事なり。無恙の字をあてたるは、ただ相問いて云う心ばえの、よく似たる故のみにこそ有れ。万葉には、つつむことなくとも、つつまわずとも云えるを以ても、虫の名にあらざる程を知るべし。

現代語訳

万葉集に「つつみなく」という言葉があるのを、後の世の俗語では「つつがなく」と言っている。この言葉は、中国の書物で「無恙」と言うのと意味合いが同じなので、昔からこの字を当てたものと見えて、万葉集の巻十三にも「恙無」と書いてある。これを今の本では「つつがなく」と訓んでいるが、それは後の言葉である。あの集ではこの言葉はみな「つつみなく」と言っているのだから、これもそう訓むべきである。さて中国の書物で「無恙」と言う言葉は、「恙は憂いである、病である」と注している。また『風俗通』に「恙は人を噛む虫で、よく人の心を食う。昔は草むらに住んでいたので、多くこの毒を受けた。だから互いに見舞って『恙無きや』と言うのだ」とあるのによって、「つつが」というのも虫の名と心得て、この言葉をその説で解くのは、ひどい誤りである。漢籍の「恙」も、憂いであり病であるという説明ならば何事もなく聞こえるのに、虫の名とするその説はまったく信じがたい。まして我が国で「つつがなく」と言うのは、あの「つつみなく」が転じた言葉であって、「つつが」は決して虫の名ではない。たとえ中国の書物の「恙」が本当に虫の名であっても、それには関わりのないことだ。「無恙」の字を当てたのは、ただ互いに安否を問うて言う気持ちがよく似ているからにすぎない。万葉集には「つつむことなく」とも「つつまはず」とも言っていることからも、虫の名ではないことが知られる。

解説

「つつがなく」の語源を、ツツガムシという虫に求める俗説を退けた一段である。宣長によれば、もとの形は万葉集の「つつみなく」で、「つつむ(障む)」すなわち差し障りがないという意味である。漢字の「無恙」は安否を問う言い回しとして意味が近いので当てただけで、中国の『風俗通』に見える恙を虫とする説を日本語の「つつが」に持ち込むのは筋違いだという。ここに宣長の方法がはっきり出ている。和語の意味は和語の用例から考えるべきで、当てた漢字の字義や漢籍の説から逆に解いてはならない。これは漢意批判の言葉の側での実践でもある。「つつむことなく」「つつまはず」という万葉の別の形を挙げて証とするところに、用例で語る実証の手堅さがある。

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