玉勝間 / 十二の巻 巻頭山ふき十二
われとひとしき人し無ければ、と云ひける、人も有けれどよしやさばれおのれは、思ふこと云はではやまじやまぶきもさればぞ花の露けかるらむ
書き下し
われとひとしき人し無ければ、と云いける、人も有りけれどよしやさばれおのれは、思うこと云わではやまじやまぶきもさればぞ花の露けかるらむ
現代語訳
「自分と同じ心の人はいないのだから(思うことは言わずにおこう)」と詠んだ人もあったけれど、ままよ、私は思うことを言わずにはおかない。口無し色の山吹も、言えずにいるからこそ、花があのように露に濡れているのだろう。
解説
十二の巻の巻頭歌である。この巻は山吹にちなんで名づけられた。踏まえているのは伊勢物語に見える「思ふこと言はでぞただにやみぬべき我とひとしき人しなければ」の一首で、分かってくれる人がいないから思うことは言わずに終わろう、という歌である。宣長はその人を横目に、自分は思うことを言わずにはすまさないと宣言する。山吹の花の色は梔子(くちなし)で染める色に通じ、「口無し」として言わぬ花とされた。言わずにいる山吹は、だから花が涙のような露に濡れているのだろう、と結ぶ。言うべきことを言い続けてきた玉勝間という書物の姿勢を、晩年の宣長が歌で言い切った一首として読める。黙って耐えるより、言って議論にさらすほうを選ぶ、という学者の構えである。
関連する章句
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