玉勝間 / 十一の巻 口あみもろもち
土佐日記に、人人のくちあみも、もろもちにて、此海邊にてになひ出せるうたと有、遠江ノ國人金原ノ〓方がいはく、今世に海人のしわざに、引網と云ふ有て、それに口網奧網と云ふあり。そのくちあみは、廣さ六七尺ばかり、長さは五六十丈もあるを海中へはへ置きて、魚をとる。そを引あぐる時には、海人どもここら並みたちて、になひ出すなり。これならむと云へり。さも有べし。歌よむことの口重きを、たはふれに、かの口網の重くて、ここらの人のかかりて、になひ出だすにぞ譬へ云ひたりけむ。
新字:土佐日記に、人人のくちあみも、もろもちにて、此海辺にてになひ出せるうたと有、遠江ノ国人金原ノ〓方がいはく、今世に海人のしわざに、引網と云ふ有て、それに口網奥網と云ふあり。そのくちあみは、広さ六七尺ばかり、長さは五六十丈もあるを海中へはへ置きて、魚をとる。そを引あぐる時には、海人どもここら並みたちて、になひ出すなり。これならむと云へり。さも有べし。歌よむことの口重きを、たはふれに、かの口網の重くて、ここらの人のかかりて、になひ出だすにぞ譬へ云ひたりけむ。
書き下し
土佐日記に、人々のくちあみも、もろもちにて、この海辺にてにない出だせるうたと有り、遠江の国人金原の〓方がいわく、今世に海人のしわざに、引網と云う有りて、それに口網奥網と云うあり。そのくちあみは、広さ六七尺ばかり、長さは五六十丈もあるを海中へはえ置きて、魚をとる。そを引きあぐる時には、海人どもここら並みたちて、にない出だすなり。これならむと云えり。さも有るべし。歌よむことの口重きを、たわむれに、かの口網の重くて、ここらの人のかかりて、にない出だすにぞ譬え云いたりけむ。
現代語訳
『土佐日記』に、「人々の口網も、皆で持ち合って、この海辺で担ぎ出した歌」とある。遠江国の人、金原〓方が言うには、「今の世の漁師の仕事に引網というものがあり、それに口網・奥網というものがある。その口網は幅六、七尺ほど、長さは五、六十丈もあるのを海中に張り置いて魚を捕る。それを引き上げる時には、漁師たちが大勢並び立って担ぎ出すのである。これのことであろう」と言った。そうであろう。歌を詠むのに口が重いのを、戯れに、あの口網が重くて、大勢の人が取りかかって担ぎ出すのにたとえて言ったのであろう。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』十二の巻 事のはじめてそのきはになるを口と云ふ事俗語に、事の始めてその際になるを、なにがし口と云うこと、ふるし。拾遺集物の名に、くち葉色の折敷、あしひきの山の木の葉のおち口は色の惜しきぞあわれなりける。
-
『玉勝間』九の巻 口あかさぬと云ふことば今の世の言に、人に口あかさぬと云うこと有り、開口のこころばえなり。源氏の物語帚木の巻に、ざえのきわ、なまなまのはかせはずかしく、すべてくちあかすべくなむ侍らざりしと有り、古き詞なりけり。
-
『玉勝間』十一の巻 うぐひと云ふ魚の名川魚にうぐいと云う有り。今は一つの魚の名なれども、もとは鵜の喰いたる魚を云えるなるべし。神祇の伯顕仲朝臣の歌に、「かがり火の光にまがう玉藻にはうぐいのいおもかくれざりけり、鵜川の題なり。これ鵜のくう魚と聞こえたり。
-
『玉勝間』三の巻 としみその仏事に、精進したるとしみの儀式なり。さて言の意を考うるに、魚食う事を忌みたるを、落つるよしにて、おとしいみと云うを、つづめたるなるべし。精進をおつと云う詞、土佐日記に、ふなぎみせちみす、そうじ物なければ、午の時より後に、かじとりのきのう釣りたりし鯛に、銭無ければ、よねをとりかけて、おちられぬと見えたり。此としみの事、後に考うれば、早く契沖も、精進の後、魚くいそむる事と聞こえたり、と云えりき。
-
『玉勝間』十の巻 物をときさとす事すべて物の色形、また事のこころを、云いさとすに、いかに委しく云いても、なおさだかにさとり難きこと、常に有るわざなり。そはその同じたぐいの物をあげて、その色に同じきぞ、某のかたちの如くなるぞと云い、ことの意をさとすには、その例を一つ二つ引き出づれば、言多からで、よくわかるるものなり。
-
『玉勝間』十の巻 出雲風土記意宇郡の名のゆゑをしるせる文かくいまだ成りととのわざるをもて、稚国とはのたまえるなるべし。将作縫とは、足らざるところを足して、縫い合わせて、広く作り成さむとなり。志羅紀乃三埼は、(埼の字一本に椅と有るは誤なり)新羅の国の地の東南の方の、海へつき出でたる御崎なり。国之余有耶云々は、かの御崎を、国の余りて広き地ありや如何がと、尋ね見れば、余れるところ有りとなり。童女胸鉏とは、鉏の形の、美女の胸の如く広く直く平らかなるを云うなるべし。万葉九の巻に、女のかたちのよきをほめて、胸別之広吾妹と有るも、胸の直く平らかなるを云えりと聞ゆればなり。大魚は鮪の類を云う。支太は、鰓なるべし、阿を略き、登を通わして支太とも云いけむ。さて鰓はつねには、支を濁り、登を清みて云えども、もとは支を清み登を濁りてぞ云いけむ。太は、古書に濁音の仮字に用いたる字なり。衝別は、漁人に聞けば、大魚を捕るには、その喉をねらいて、衝きてとると云えり。古歌に鮪つくと有る、これなり。されば衝を云わむ序に、大魚の鰓とは云えるなるべし。鰓は口のわきなれば、いささか違えるが如くなれど、喉は口の奥なれば、外より衝くところをば、さも云うべきなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る