玉勝間 / 十一の巻 巻頭さねかづら十一
こぬものを思ひたえなでさねかづらまつもくるしやくるる夜ごとにこれは夜毎に待つと云ふ、題よみのなるを、卷の名つけむとて、例のひきいでたるになん。
新字:こぬものを思ひたえなでさねかづらまつもくるしやくるる夜ごとにこれは夜毎に待つと云ふ、題よみのなるを、巻の名つけむとて、例のひきいでたるになん。
書き下し
こぬものを思いたえなでさねかづらまつもくるしやくるる夜ごとに これは夜毎に待つと云う、題よみのなるを、巻の名つけむとて、例のひきいでたるになん。
現代語訳
「来ない人だとわかっていながら、思いを断ち切ることもできず、さねかずらの蔓のように絶えずに待ち続けるのは苦しいことだ、日の暮れる夜ごとに」。これは「夜ごとに待つ」という題で詠んだ歌であるが、巻の名を付けようとして、いつものように引き出したのである。
解説
十一の巻の名「さねかづら」の由来を記した巻頭である。宣長は各巻に草木にちなむ名を付け、自作の歌から一語を取るのを例とした。ここで引いたのは「夜ごとに待つ」という題で詠んだ恋の歌で、来ない人を思い切れずに待つ苦しさを、蔓の長く絶えないさねかずら(びなんかずら)に託している。さねかずらは『百人一首』の「名にし負はば逢坂山のさねかづら」でも知られる、逢うことを掛けた古来の歌語である。題を与えられて詠む題詠は、当時の歌の稽古の基本であった。考証の多いこの巻も、一首の恋歌から始まる。学者である前に歌詠みであった宣長の姿が、巻頭ごとにのぞいている。
関連する章句
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『玉勝間』六の巻 巻頭(からあゐ六)そのおのが歌は、からあいの末摘花の末ついに色にや出でん忍びかねてば 寄草恋と云う題にて詠めるなり。古今集なる、「我が恋をしのびかねてばあしひきの山たちばなの色に出でぬべし」と云う歌にぞよく似たると、また云う人も有りなんか。
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『玉勝間』十の巻 巻頭(山菅十)はてもなし云うべき事は云えど云えどなおやますげの乱れあいつつ。この野べのすさびよ、いとかくはかなき手習いを、ものものしく、巻ごとに名つけて、歌をさえに添えたるは、我ながらだに、あやしく覚ゆるを、おのずからも見む人は、まして如何にことごとしと思うらん。さるは初めの巻のはしに、ゆくりかに歌一つ物して、巻の名つけつるままに、つぎつぎも一つ二つ然かせしが、おのずから習いになりて、必ずさらでは得あらぬわざの如なりもてきぬるを、今さらにたがえむも、さすがにて、例のごと物するになむ。そもそのおりおり、思いうるままに、詠み出でもし、あるいは他事に詠みたるが有るをも、取り出でなどするを、につかわしく覚ゆるも、無きおりなど、今書かむとすとては、筆とりながら、思いめぐらすに、例の口おそさは、とみにも出でこで、しりくわえ勝ちなるも、あじきなく物くるおしきわざになん。この山菅も、かろうじてほり出でたる、さる歌のきたなげさよ。
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『玉勝間』十一の巻 歌を思ふほどにある事歌よまむとて、思いめぐらす程、一ふし思い得たる事の有るに、心のごと云いととのえ難くて、時うつるまで思い、或るは日を重ねても、同じすじにかかずらいてとかく続けみれども、ついに事ゆかぬ事あるものなり。さるおりは、そのふしをば、きよく捨てて、さらにほかに求むべきわざなるを、さすがに惜しく、捨て難くて、あかずは覚えながら、いかがはせむに、しいて綴り出でたる、いと心ぎたなきわざには有れども、誰もよく有ることなり。またさように久しく思いわずらいたる程に、そのかかずらえるすじには有らで、思いかけぬよき事の、ふとかたわらより出で来て、たやすく詠み出でらるる事も有りかし。されどそれも、深く思い入りたるから、さるよき事も出で来るにて、初めよりのいたつきの、いたずらになれるには有らずなむ。そもそもこれらは、ようも無きあだことなれども、思い出でたるままに、書き出でたるなり。
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『玉勝間』十二の巻 巻頭(山ふき十二)われとひとしき人し無ければ、と云いける、人も有りけれどよしやさばれおのれは、思うこと云わではやまじやまぶきもさればぞ花の露けかるらむ
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『玉勝間』三の巻 巻頭(たちばな三)立ちよればむかしの誰と我ながらわが袖あやしたちばなのかげ。これは題よみのすずろ言なるを、とり出でたるは、ことさらめきて、いかにぞやもおぼゆれど、例の巻の名つけむとてなむ。
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『玉勝間』二の巻 巻頭(桜の落葉二)なが月の十日ごろ、せんざいの桜の葉の、色こくなりたるが、物がなしきゆうべの風に、ほろほろとおつるを見て、よめる。花ちりし同じ梢をもみじにもまたものおもう庭ざくらかな これを拾いいれて、やがて巻の名としつ。
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