玉勝間 / 十の巻 巻頭山菅十
はてもなし云ふべき事は云へど云へどなほやますげの亂れあひつつ此野べのすさびよ、いとかくはかなき手習ひを、ものものしく、卷ごとに名つけて、歌をさへに添へたるは、我ながらだに、あやしく覺ゆるを、おのづからも見む人は、まして如何にことごとしと思ふらん。さるは初めの卷のはしに、ゆくりかに歌一つ物して、卷の名つけつるままに、つぎつぎも一つ二つ然かせしが、おのづから習ひになりて、必ずさらでは得あらぬわざの如なりもてきぬるを、今さらにたがへむも、さすがにて、例のごと物するになむ。そも其のをりをり、思ひうるままに、詠み出でもし、或るは他事に詠みたるが有るをも、取り出でなどするを、につかはしく覺ゆるも、無きをりなど、今書かむとすとては、筆とりながら、思ひめぐらすに、例の口おそさは、とみにも出でこで、しりくはへ勝ちなるも、あぢきなく物くるほしきわざになん。此山菅も、からうじてほり出でたる、さる歌のきたなげさよ。
新字:はてもなし云ふべき事は云へど云へどなほやますげの乱れあひつつ此野べのすさびよ、いとかくはかなき手習ひを、ものものしく、巻ごとに名つけて、歌をさへに添へたるは、我ながらだに、あやしく覚ゆるを、おのづからも見む人は、まして如何にことごとしと思ふらん。さるは初めの巻のはしに、ゆくりかに歌一つ物して、巻の名つけつるままに、つぎつぎも一つ二つ然かせしが、おのづから習ひになりて、必ずさらでは得あらぬわざの如なりもてきぬるを、今さらにたがへむも、さすがにて、例のごと物するになむ。そも其のをりをり、思ひうるままに、詠み出でもし、或るは他事に詠みたるが有るをも、取り出でなどするを、につかはしく覚ゆるも、無きをりなど、今書かむとすとては、筆とりながら、思ひめぐらすに、例の口おそさは、とみにも出でこで、しりくはへ勝ちなるも、あぢきなく物くるほしきわざになん。此山菅も、からうじてほり出でたる、さる歌のきたなげさよ。
書き下し
はてもなし云うべき事は云えど云えどなおやますげの乱れあいつつ。この野べのすさびよ、いとかくはかなき手習いを、ものものしく、巻ごとに名つけて、歌をさえに添えたるは、我ながらだに、あやしく覚ゆるを、おのずからも見む人は、まして如何にことごとしと思うらん。さるは初めの巻のはしに、ゆくりかに歌一つ物して、巻の名つけつるままに、つぎつぎも一つ二つ然かせしが、おのずから習いになりて、必ずさらでは得あらぬわざの如なりもてきぬるを、今さらにたがえむも、さすがにて、例のごと物するになむ。そもそのおりおり、思いうるままに、詠み出でもし、あるいは他事に詠みたるが有るをも、取り出でなどするを、につかわしく覚ゆるも、無きおりなど、今書かむとすとては、筆とりながら、思いめぐらすに、例の口おそさは、とみにも出でこで、しりくわえ勝ちなるも、あじきなく物くるおしきわざになん。この山菅も、かろうじてほり出でたる、さる歌のきたなげさよ。
現代語訳
「言うべきことは言っても言っても果てもない。やはり山菅(やますげ)の葉のように乱れ合いながら」——この野辺の慰みごとよ。まったくこんなたわいもない手習いを、仰々しく巻ごとに名を付け、歌まで添えているのは、我ながら妙に思われるのだから、たまたま目にする人は、なおさらどれほど大げさだと思うことだろう。実は最初の巻の端に、ふと歌を一首詠んで巻の名を付けたのに合わせて、続く巻にも一つ二つそうしたのが、自然と習わしになって、必ずそうしなければ済まないことのようになってきたのを、今さら変えるのもさすがにためらわれて、いつものようにしているのである。それもその折々に思いつくままに詠み出したり、あるいは別の折に詠んだ歌があればそれを取り出したりするのだが、ふさわしく思われるものも無い時など、今書こうとして、筆を取りながら思いめぐらしても、いつもの口の重さで、すぐには出てこず、しりごみしがちなのも、情けなく、もどかしいことである。この山菅の歌も、やっとのことで掘り出した、なんとも見苦しい歌であることよ。
解説
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 巻頭(初若菜一)この言草よ、何くれと数多く積りぬるを、いとくだくだしけれど、やり捨てむもさすがにて、書き集めむとするを、きょうはむ月十八日、子の日なれば、よし有りておぼゆるままに、まづこの巻の名、かく物しつ。次々のも、またその折々思い寄らむままに、何ともかとも付けてむとす。かたみとは残れ野沢の水ぐきの浅くみじかき若菜なりとも
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『玉勝間』五の巻 巻頭(枯野のすすき五)秋過ぎて、草はみながら枯れはてて、さびしき野べに、ただ尾花のかぎり、心長く残りて、むらむら立てるを、あわれと見て、詠める。かれぬべき枯野の尾花かれずあるを枯れずこそ見め枯れぬ限りは。斯かるすずろごとをさえに、とり出でたるは、見ん人、おこに思うべかめれど、よしやさばれとてなん。
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『玉勝間』十一の巻 歌を思ふほどにある事歌よまむとて、思いめぐらす程、一ふし思い得たる事の有るに、心のごと云いととのえ難くて、時うつるまで思い、或るは日を重ねても、同じすじにかかずらいてとかく続けみれども、ついに事ゆかぬ事あるものなり。さるおりは、そのふしをば、きよく捨てて、さらにほかに求むべきわざなるを、さすがに惜しく、捨て難くて、あかずは覚えながら、いかがはせむに、しいて綴り出でたる、いと心ぎたなきわざには有れども、誰もよく有ることなり。またさように久しく思いわずらいたる程に、そのかかずらえるすじには有らで、思いかけぬよき事の、ふとかたわらより出で来て、たやすく詠み出でらるる事も有りかし。されどそれも、深く思い入りたるから、さるよき事も出で来るにて、初めよりのいたつきの、いたずらになれるには有らずなむ。そもそもこれらは、ようも無きあだことなれども、思い出でたるままに、書き出でたるなり。
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『玉勝間』八の巻 巻頭(萩の下葉八)人はこず萩の下葉もかつ散りて嵐は寒し秋の山ざと、は文字を重ねたる、古えの歌どもを見て、ふとおかしきふしに覚えたるままに、われもいかでと詠み出たるなり。聞えてや有らむ、聞えずや有らむ。われは聞えたりと思うとも、人の見たらんには、いかが有らん、聞えずやあらむ、知らずかし。
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『玉勝間』四の巻 巻頭(わすれ草四)からぶみの中に、とみに尋ぬべき事の有りて、思いめぐらすに、そのふみとばかりは、ほのかに覚えながら、いづれの巻のあたりと云うこと、さらにおぼえねば、ただ心あてに、ここかしこと尋ぬれど、え見いでず。さりとていとあまた有る巻々を、初めよりたつねもて行かむには、いみしくいとまいりぬべければ、さもえ物せず。ついに空しくて止みぬるが、いと口惜しきままに、思い続けける。ふみ見つる跡もなつ野の忘草老いてはいとどしげり添いつつ。もとより物覚ゆる事、いと乏しかりけるを、このちかき年頃となりては、いとど何事も、ただ今見聞きつるをだに、やがて忘れがちなるは、いといと云うかい無きわざになん。
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『玉勝間』十二の巻 巻頭(山ふき十二)われとひとしき人し無ければ、と云いける、人も有りけれどよしやさばれおのれは、思うこと云わではやまじやまぶきもさればぞ花の露けかるらむ
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