玉勝間 / 九の巻 口あかさぬと云ふことば
今の世の言に、人に口あかさぬと云ふこと有、開口のこころばへなり。源氏の物語帚木の卷に、ざえのきは、なまなまのはかせはづかしく、すべてくちあかすべくなむ侍らざりしと有り、古き詞なりけり。
新字:今の世の言に、人に口あかさぬと云ふこと有、開口のこころばへなり。源氏の物語帚木の巻に、ざえのきは、なまなまのはかせはづかしく、すべてくちあかすべくなむ侍らざりしと有り、古き詞なりけり。
書き下し
今の世の言に、人に口あかさぬと云うこと有り、開口のこころばえなり。源氏の物語帚木の巻に、ざえのきわ、なまなまのはかせはずかしく、すべてくちあかすべくなむ侍らざりしと有り、古き詞なりけり。
現代語訳
今の世の言葉に「人に口をあかさぬ」(人に口を開かせない、言い返させない)ということがあり、口を開くという意味合いである。『源氏物語』帚木の巻に「学才のほどは、なまはんかな博士が恥じ入るほどで、何事につけても口を開けそうにもございませんでした」とあり、古い言葉なのであった。
解説
「人に口をあかさぬ」という当時の言い回しが、『源氏物語』にすでに見えることを示した段である。人に口を挟ませない、言い返させないという意味で、江戸の人々もふつうに使っていた。宣長は帚木の巻の、いわゆる雨夜の品定めの一節にこの言い方を見つける。式部丞が、かつて通った博士の娘の学識があまりに深く、なまじっかな博士では恥じ入って口も開けないほどだった、と語る場面である。宣長は源氏物語を生涯講じ続け、その言葉を隅々まで知っていた。だからこそ、町の口語の中に源氏の言葉の生き残りを聞き分けることができた。古典を深く読むことが、今の言葉を見る目を養うのである。
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 御と云ふ詞のつかひざまの一つ源氏物語に、仏の御かりょうびんがの声、御ひとつ腹、御まえわたり、宮の御侍従の乳母、仏の御同じ帳台、宮の御二条の北の方、など有るこれらの御ちょう詞、今の世の心にて思えば、仏のかりょうびんがの御こえ、ひとつ御はら、宮の侍従の御乳母、仏の同じ御帳台、宮の二条の御北の方、と云うべきに、置きどころかわりて聞こゆ、心得おくべし。御まえわたりも、御は、わたりへかかりて、前へはかからず。
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