玉勝間 / 十一の巻 八丈絹
神鳳抄に、諸國の御厨より、大神宮に奉る物の中に、八丈絹幾疋と云ふこと、多く見えたり。されば此ノ絹いづれの國よりも出しなり。伊豆の沖なる八丈が嶋と云ふも、昔此絹を織出せしより、嶋の名にも成れるなるべし。かくて今の世に八丈と云ふはたは、かの島より織出す故に、八丈とは云ふと、みな人思ひたンめるは、まことにさも有らむか。又思ふに、今の八丈はた、卽ち古、の八丈絹にても有べし。そはとまれかくまれ八丈と云ふ島の名は、かの八丈絹よりぞ出つらむかし。
新字:神鳳抄に、諸国の御厨より、大神宮に奉る物の中に、八丈絹幾疋と云ふこと、多く見えたり。されば此ノ絹いづれの国よりも出しなり。伊豆の沖なる八丈が嶋と云ふも、昔此絹を織出せしより、嶋の名にも成れるなるべし。かくて今の世に八丈と云ふはたは、かの島より織出す故に、八丈とは云ふと、みな人思ひたンめるは、まことにさも有らむか。又思ふに、今の八丈はた、即ち古、の八丈絹にても有べし。そはとまれかくまれ八丈と云ふ島の名は、かの八丈絹よりぞ出つらむかし。
書き下し
神鳳抄に、諸国の御厨より、大神宮に奉る物の中に、八丈絹幾疋と云うこと、多く見えたり。されば此の絹いずれの国よりも出だししなり。伊豆の沖なる八丈が島と云うも、昔この絹を織り出だせしより、島の名にも成れるなるべし。かくて今の世に八丈と云うはたは、かの島より織り出だす故に、八丈とは云うと、みな人思いたんめるは、まことにさも有らむか。また思うに、今の八丈はた、即ち古の八丈絹にても有るべし。そはとまれかくまれ八丈と云う島の名は、かの八丈絹よりぞ出でつらむかし。
現代語訳
『神鳳抄』に、諸国の御厨から伊勢の大神宮に奉る物の中に、「八丈絹何疋」ということが多く見えている。だからこの絹はどの国からも出したのである。伊豆の沖にある八丈島というのも、昔この絹を織り出したことから、島の名にもなったのであろう。こうして今の世に八丈という織物は、あの島から織り出すので八丈と言うのだと、皆が思っているようなのは、本当にそうでもあろうか。また思うに、今の八丈という織物は、すなわち古の八丈絹であってもよい。それはともかくとして、八丈という島の名は、あの八丈絹から出たのであろう。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 遠江国より大神宮に神御衣を織て奉る事遠江国人、内山真龍が云えるは、かの国の浜名の郡神戸の〓岡本村と云うに。機殿有りて、年毎に、四月と九月と、神御衣を織りて、伊勢の内宮に奉る。そのはた殿は、かの村に、神氏目大夫と云う者、世世相伝えて、年ごとに新しく造る、萱葺の屋なり。神庫もあり。ふるめきたる造りざまなり。神御衣は、年ごとに、三河の国の大野村と云うより、生糸を、この岡本村におくり奉るを、件の機殿にて織りて奉る。和たえなり、と云いき。
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『玉勝間』八の巻 ちりめん又同じ祭の使の装束に、有文の下襲、縮緬の綾袴等を着す、と見えたり。縮緬は、今の世にも云うちりめんなるべし。但し昔は、ちぢめんと云いけむを、ちりめんとは訛れるなるべし。
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『玉勝間』一の巻 むかしは銭すくなかりし事おなじ書に、上品八丈絹六匹、代百廿文(各廿文)紺布二反、(無文)代四文とあり。むかしは銭のいといとすくなかりし程、これにて知るべし。また同書に、工藤庄司景光、佐与美の水干を着す、と云うこと見ゆ。今の世に、布に細目と云うがあるは、このさよみの訛れる名なるべし。
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『玉勝間』七の巻 直綴と云ふ衣今の世に、直綴と云う法衣あり。同書延文二年四月のところに、この名見えたり。また同四年四月十五日、公賢の大臣のかしらおろし給う所にも、直衣を脱ぎ、次に法衣を着る、墨染の大直綴なり。その色濃しと見ゆ。
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『玉勝間』六の巻 峠同じ百首に、「あしがらの山の峠に今日きてぞ富士の高根のほどは知らるる、峠と詠めり。この字は、後の人の書けるにも有るべけれど、とうげと詠める故にかく書けるなり。日向をひゅうが、多武峰をとうのみねと云う音便の、同じ例にて、手向を、そのかみ早くとうげと云いしなり。
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『玉勝間』九の巻 いそのへぢ新古今集旅の部、行尊大僧正の歌の詞書に、いそのへぢと有る所は、紀の国熊野に物するに、牟婁の郡田辺より、海べを経て、熊野に出づる道あり、これなるべし。この道伊勢まで続けり。長く磯づたいに行く路なる故に、いそのべぢとは云うなるべし。今の俗にも、大浜路と云うなり。行尊僧正の、熊野へ物せられたる歌は、これかれと集にも見えたり。又西行法師の山家集に、いせのべぢの錦の島云云と有るも、この道の事なるべしと、同じ書に云えり。
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