玉勝間 / 六の巻 峠
同百首に、「あしがらの山の峠に今日きてぞ富士の高根のほどは知らるる、峠と詠めり。此字は、後の人の書けるにも有るべけれど、たうげと詠める故に斯く書るなり。日向をひうが、多武峰をたうのみねと云ふ音便の、同じ例にて、手向を、そのかみ早くたうげと云しなり。
書き下し
同じ百首に、「あしがらの山の峠に今日きてぞ富士の高根のほどは知らるる、峠と詠めり。この字は、後の人の書けるにも有るべけれど、とうげと詠める故にかく書けるなり。日向をひゅうが、多武峰をとうのみねと云う音便の、同じ例にて、手向を、そのかみ早くとうげと云いしなり。
現代語訳
同じ百首に「足柄の山の峠に今日来てこそ、富士の高嶺の高さのほどが知られることだ」と「峠」を詠んでいる。この字は後の人が書いたのでもあろうが、「とうげ」と詠んでいるのでこう書いたのである。日向を「ひゅうが」、多武峰を「とうのみね」という音便と同じ例で、「手向(たむけ)」を当時すでに「とうげ」と言っていたのである。
解説
「峠」という言葉が「手向(たむけ)」の音便から出たことを、平安後期の百首歌の用例で示した一段である。峠は、旅人が山の神に幣を手向けて越えた場所であり、「たむけ」が「たうげ」と変わったのだと宣長は言う。日向を「ひうが」、多武峰を「たうのみね」と言うのと同じ音の変化だ、と類例を並べて説得力を持たせている。峠という字は日本で作られた国字であり、ここでは後の人が書き加えたものかもしれない、と断っているのも慎重である。山を越えるたびに神に祈った昔の旅の姿が、峠という一語の中に残っている。言葉の音の変化を知ることは、失われた習俗を掘り起こすことにもつながる。
関連する章句
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『玉勝間』十の巻 しをり六帖に、山の題の歌に、「しおりして行かまし物をあいづ山いるよりまどう道と知りせば。しおりと云う物、これに見えたるなどや、始めならむ。なお古く有るか、覚えずなん。
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『玉勝間』十三の巻 箱根山を箱荷山と云ひし事記略に、延暦廿一年五月甲戌、相模国の足柄路を廃し、筥荷の途を開く、富士の焼くるに、砕石道を塞ぐを以てなり。同廿二年五月丁卯相模国の筥荷路を廃し、足柄の旧路に復すとある。筥荷は、今の箱根と聞こゆ。
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『玉勝間』十三の巻 万葉集に山ノ字を玉に誤れる例万葉集に、山の字を玉に誤れる例多し。草書にては、山と玉とよく似たる故なり。二の巻に、「三吉野の玉松が枝は」云云、十五の巻に、やままつかげにともあり。玉は山を誤れることしるし。然るを後の歌に、玉松と詠めるは、この歌によれるにて、皆ひがことなり。玉松と云うことは、有る事無し。又同じ二の巻に、「人はよし思いやむとも玉かずら影に見えつつ」云云、こは山かずらは、日かげかずらのことにて、影の枕詞に置けるなり。山かずら日かげとつづく意にて、十四の巻に、あしひきの山かずらかげと詠めるかげに同じ。十八の巻にも、かずらかげと有り、みなかげは日かげのかずらの事なり。然るを後の世に、この玉かずらを、山かずらの誤りなる事を知らずして、影と続きたるを、懸の意と心得たるは、ひがことなり。又十三の巻に、「斎串立て」云云「雲聚の玉蔭見ればともしも」、こはうずに垂れたる日かげのかずらなり。十六の巻に、「あしひきの玉かずらの児」とあるは、あしひきのとあれば、山なること論無し。即ち「玉久世の清き河原」云云と云う歌も、ならべる歌には、山かずらの児とあり。さて件の例どもによりて思えば、十一の巻に、山代の久世の河原なりけむを、山を玉に、能を清に誤り、代を脱せるにこそ。玉久世と云うことは、有るべくも覚えず。
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『玉勝間』八の巻 すそをつまげる俗言に、衣のすそをつまげると云うは、万葉集二十の巻の長歌に、御裳のすそつみあげかきなで、と有る、此つみあげのつづまれる詞なり。
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