玉勝間 / 十一の巻 ゆかたびら、かたびら
浴して着る衣を、俗にゆかたと云ふは、同じ物語玉のかざりの卷に、御ゆかたびらと有る、これなり。ついでに云はむ。かたびらとは、今の世には、布の衣をのみ云へど、もとさには有らず。裏なく一重なる物を、何にまれ、かたびらとは云ふなり。
新字:浴して着る衣を、俗にゆかたと云ふは、同じ物語玉のかざりの巻に、御ゆかたびらと有る、これなり。ついでに云はむ。かたびらとは、今の世には、布の衣をのみ云へど、もとさには有らず。裏なく一重なる物を、何にまれ、かたびらとは云ふなり。
書き下し
浴して着る衣を、俗にゆかたと云うは、同じ物語玉のかざりの巻に、御ゆかたびらと有る、これなり。ついでに云わむ。かたびらとは、今の世には、布の衣をのみ云えど、もとさには有らず。裏なく一重なる物を、何にまれ、かたびらとは云うなり。
現代語訳
湯浴みをして着る衣を世間で「ゆかた」と言うのは、同じ物語(『栄花物語』)の玉の飾りの巻に「御ゆかたびら」とあるのがこれである。ついでに言っておこう。「かたびら」とは、今の世では麻布の衣だけを言うけれども、もとはそうではない。裏がなく一重の物を、何であれ「かたびら」と言うのである。
解説
「浴衣」という言葉の源が、平安時代の「ゆかたびら(湯帷子)」にあることを『栄花物語』で確かめた段である。平安貴族は蒸し風呂に入る際に麻の単衣をまとい、それを湯帷子と呼んだ。それが略されて「ゆかた」となり、江戸時代には湯上がりや夏の気軽な着物として庶民に広まった。宣長はついでに「かたびら」の本来の意味にも触れ、今は麻の単衣だけを指すが、もとは裏のない一重の衣なら何でもそう呼んだと言う。言葉が指す範囲が、時代とともに狭まることもあれば広がることもある。夏祭りで今も着られる浴衣の名が、千年前の貴族の入浴の習わしから来ていると知れば、身近な衣服も違って見える。宣長の語源研究は、暮らしの言葉に歴史の厚みを与えてくれる。
関連する章句
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『玉勝間』十二の巻 きがへ同じものがたりに、きがえとり寄せて、きかえてと有り。こは着替えに設けたる衣の由なり。今の世に衣服すべてきがえと言うなるは、これより転りたるなり。
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『玉勝間』八の巻 ひたたれ後撰集に、ひたたれ乞いに遣わしけるに、うらなん無き、それはきじとや、いかがと云いたれば、藤原の元輔、住吉のきじとはいわじおきつ浪猶うちかけようらはなくとも、台記の別記に、次に家行朝臣を召し、比多多礼(桜萌黄)を賜う、仰せて云う、路頭に定めて寒気有らん、之を以て寒を禦げ、云云と見え、兵範記に、久安五年十一月十一日、今日故姫宮の周闋の御法事を行わる、云云、布施云云、織物の直垂一領(故宮の御衣)、また保元三年二月九日、聟取りのところに、男女相伴いて帳中に入らる、下官〓を覆う(直垂なり)、宇治拾遺物語に、入てねむとするに、綿四五寸ばかりあるひたたれあり云云、此ひたたれひききて、ふしたる心云云、など有るを見れば、直垂はもと、綿を入れて、寒きをふせぐ物にて、衾にもしたりけむ。又昔は女もきたりしにや、後撰集に、裏なしと有るは、綿をつけて、裏の無きを云えるなるべし。
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『玉勝間』十一の巻 中間と云ふものの事永仁三年にしるせる、布衣記と云うふみに、云云若党中間、跡に上下着て召し具す、また中間の事、折烏帽子小結常なり染直垂に大帷を重ね、袴には大口をかさね云云など云えり。然れば中間と云うもの、昔のは、今の世に云うとは、異なるものなりけむ。
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『玉勝間』七の巻 直綴と云ふ衣今の世に、直綴と云う法衣あり。同書延文二年四月のところに、この名見えたり。また同四年四月十五日、公賢の大臣のかしらおろし給う所にも、直衣を脱ぎ、次に法衣を着る、墨染の大直綴なり。その色濃しと見ゆ。
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