玉勝間 / 十一の巻 封ノ字を書べきところに〆と書く事
これも北山抄に、封ノ字のかはりに、近代は忽引墨と云ふ事有。
書き下し
これも北山抄に、封の字のかわりに、近代は忽ち墨を引くと云う事有り。
現代語訳
これも『北山抄』に、「封」の字の代わりに、近ごろはさっと墨を引くということがある、とある。
解説
手紙の封じ目に「封」の字を書く代わりに墨を一筆引く、という習わしの古さを示した短い段である。題に「〆」とあるとおり、宣長の時代にも封書の綴じ目に「〆」と書く習慣があり、今もその名残が残っている。その起こりは、平安時代の中頃にすでに、正式な「封」の字を略して墨を引くだけで済ますことがあったところにあるらしい、と宣長は『北山抄』の記事から推している。藤原公任がこれを「近代は」と書いているのは、当時すでに新しい略式として意識されていたことを示す。宣長は、日常の小さな習慣が千年近く前にまでさかのぼることを確かめるのを好んだ。今ふだん何気なく書いている記号にも、長い歴史が隠れていることを教えてくれる。
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 かなぶみに朱印をおす事仮字文に、朱印と云う物を押すは、いと見ぐるしきわざなり。いわゆる書判は、やや古き物にも見えたり。もろこしの国にても、古くはみな花押とて、書判なり。朱印おす事は、宋の代の頃より始まれりとぞ。
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『玉勝間』七の巻 物書くに心すべき事古は、かたえの人も、皆心明らかなりしかば、いかに書きても、読みたがうる事無かりしかばこそ有れ、今の世は、みずからこそ心得たらめ、かたえの人は、心得たらねば、ともすれば、読みたがえ、写しひがむるたぐいのみ多かれば、いかにももの書くには、心すべきわざぞと、おのれは思いとりてぞ在る。さればおのが癖にて、つねに物書くに、読みたがえやせん、写しひがめやせんとのみ、心するほどに、もとよりいといと拙き手をいとどしじかみて、かたわには有るなり。また古言などは、殊に人の読みたがえ、誤る事多きを、いかであやまらず、正しく読ましめんとする程に、さらでも有るべき所にも、度ごとに仮字づけしなどして、心高き人には、わらわるるを、みずからも且つは知りながら、しみつきたる癖は、世に離れがたきわざになん。
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『玉勝間』十一の巻 室町殿の判の字の事同記に云わく、同六年四月二日、後に聞く、この日室町殿より、伊勢因幡守御使として、仰せ下されて云わく。今月御判始め有るべし、しかるに御判の事、御名字を草に書き成さるるの儀これ有り。或いはまた別字を以て作られ候儀これ有り、何の字を以て用いらるべきや撰び進ずべきの由、これを仰せらる。然りと雖も、先々この事、仰せを蒙らざるか、注し置かざるなり。もしまた記伝儒など撰び進ぜらるるか、伝奏に仰せ合わせらるるが然るべきか、ただまた使いに就きて撰び進ずべきの由、重ねて仰せ下さるべきか、御計らい有るべきの由、返事申さる。その後未だ仰せ出ださるるの旨無しと云云。鹿苑院殿普広院殿両代は、義の字なり。勝定院殿の御判は、慈の字なり。
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『玉勝間』一の巻 中御門宣胤卿の記されば今もろもろの記録などの語をぬき出でて書くに、本にある云々は皆、となりと云えりなど云うべきところなる故に、かたわらにその仮字をつけて分かち、今私に語を略きて書ける所に書けるは、仮字を附けず、その心もて見るべし。
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『玉勝間』八の巻 為後日と云ふ事今証文のおくに、為後日と書く事、応徳元年又永保三年などの、家地売買券に、仍て後日の為に新券を立つ、また仍て後日の為に、本券等を相副え、新券を立つること件の如し、など有り。
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