玉勝間 / 五の巻 車の紋の事
同じ書に、車の文の事、さだ有り。かの頃までは、今の世のごとく、家家の定紋と云ふものは、無かりしやうに聞えたり。然れども、車の文の事、人人大略、定めてつけけるやうに聞ゆ。
書き下し
同じ書に、車の文の事、さだ有り。かの頃までは、今の世のごとく、家々の定紋と云うものは、無かりしように聞えたり。然れども、車の文の事、人々大略、定めてつけけるように聞ゆ。
現代語訳
同じ書(『園太暦』)に、車の紋についての沙汰(取り決めや議論)が書かれている。あのころまでは、今の世のように、家々の定紋というものはなかったように聞こえる。けれども車の紋については、人々はおおよそ決めてつけていたように聞こえる。
解説
前の段と同じ『園太暦』から、牛車に付ける紋の記事を取り上げた段である。宣長の時代には、どの家にも決まった家紋があるのが当たり前だった。しかし南北朝のころの記録を読むと、家ごとに定まった紋というものはまだなかったように見える。それでいて牛車の紋については、人々がおおよそ決まった文様を付けていたらしい。宣長はここに、家紋の起こりにつながる手がかりを見ている。公家の牛車の文様は、遠くからでも誰の車かを見分ける目印であり、それがやがて家の印として固まっていったと考えられている。今あるものを昔からあったと思い込まず、記録から始まりを確かめる。有職故実の考証が、身近な習いの由来を知る手だてになることを示す一段である。
関連する章句
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