玉勝間 / 十一の巻 室町殿の判の字の事
同記云、同六年四月二日、後聞、是日自室町殿、伊勢因幡守爲御使、被仰下云。今月可有御判始、然御判事、御名字草被書成之儀有之。或又以別字被作候儀有之、以何字可被用哉可撰進之由、被仰之。雖然、先先此事、不蒙仰歟、不注置也。若又記傳儒など被撰進歟、被仰合傳奏者可然歟、只亦就使可撰進之由、重可被仰下歟、可有御計之由、返事被申。其後未無被仰出之旨云云。鹿苑院殿普廣院殿兩代者、義字也。勝定院殿御判者、慈字也。
新字:同記云、同六年四月二日、後聞、是日自室町殿、伊勢因幡守為御使、被仰下云。今月可有御判始、然御判事、御名字草被書成之儀有之。或又以別字被作候儀有之、以何字可被用哉可撰進之由、被仰之。雖然、先先此事、不蒙仰歟、不注置也。若又記伝儒など被撰進歟、被仰合伝奏者可然歟、只亦就使可撰進之由、重可被仰下歟、可有御計之由、返事被申。其後未無被仰出之旨云云。鹿苑院殿普広院殿両代者、義字也。勝定院殿御判者、慈字也。
書き下し
同記に云わく、同六年四月二日、後に聞く、この日室町殿より、伊勢因幡守御使として、仰せ下されて云わく。今月御判始め有るべし、しかるに御判の事、御名字を草に書き成さるるの儀これ有り。或いはまた別字を以て作られ候儀これ有り、何の字を以て用いらるべきや撰び進ずべきの由、これを仰せらる。然りと雖も、先々この事、仰せを蒙らざるか、注し置かざるなり。もしまた記伝儒など撰び進ぜらるるか、伝奏に仰せ合わせらるるが然るべきか、ただまた使いに就きて撰び進ずべきの由、重ねて仰せ下さるべきか、御計らい有るべきの由、返事申さる。その後未だ仰せ出ださるるの旨無しと云云。鹿苑院殿普広院殿両代は、義の字なり。勝定院殿の御判は、慈の字なり。
現代語訳
同じ記にこうある。文安六年(1449)四月二日、後で聞いたところでは、この日室町殿(将軍)から伊勢因幡守を使いとして仰せ下されたことには、今月、御判始め(初めて花押を用いる儀式)があるはずである。ところで御判(花押)については、御名字を草書に崩して作る例がある。あるいはまた別の字をもとに作る例もある。どの字を用いるべきか選んで差し上げよ、と仰せになった。しかし、これまでこのことについて仰せを受けたことはないのか、書き留めた記録がない。もしや記伝道の儒者などが選んで差し上げたのか、伝奏に相談されるのがよいのではないか、あるいはただ使いに付けて選んで差し上げよと重ねて仰せ下されるのか、よくお計らいください、と返事を申された。その後まだ仰せ出されたことはないという。鹿苑院殿(足利義満)と普広院殿(足利義教)の両代は「義」の字である。勝定院殿(足利義持)の御判は「慈」の字である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 かなぶみに朱印をおす事仮字文に、朱印と云う物を押すは、いと見ぐるしきわざなり。いわゆる書判は、やや古き物にも見えたり。もろこしの国にても、古くはみな花押とて、書判なり。朱印おす事は、宋の代の頃より始まれりとぞ。
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『玉勝間』十一の巻 慈照院大将軍元服の事同記に云わく、同月十六日、この夜室町殿(左馬頭義成十五歳)御元服、云云。禁裏より、御大刀(平鞘)進ぜらる。武家伝奏(中山宰相中将)御使として、室町殿より、内裏に御礼物を進ぜらる、砂金百両(録折敷に居う)、御剣、銀御馬(黒河毛、鞍を置かれ厚総を懸けらるるなり)等なり。御使は摂津掃部頭なり。伝奏の亭に持参し、伝奏これを請け取り、禁裏に進ぜらると云云。摂津は白直垂に折烏子なり云云。院御所に進ぜらるる御礼物は、御剣・銀御馬なり。また伝奏(中山宰相中将親通)御馬・御大刀を拝領せらると云云。室町殿御元服第二日なり。今日椀飯、畠山次郎(義夏)白直垂なり、騎馬三騎、皆白直垂なり云云。
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『玉勝間』十一の巻 封ノ字を書べきところに〆と書く事これも北山抄に、封の字のかわりに、近代は忽ち墨を引くと云う事有り。
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『玉勝間』一の巻 中御門宣胤卿の記また曰く、同十二月二十日云々。時に皇居は土御門殿なり、乱後修理有り、去年十二月七日、日野侍従政資の亭より還幸す。また、文亀二年正月一日(乙亥)節会、世乱以後、長享三年に至るまで、廿二年退転す、延徳二年再興す、近年また退転す、当年代始に依りて、御再興せらるる所なり、去年は諒闇に依りて平座たり。また、同二日、去夜勧修寺中納言、回覧の折紙を以て、年始歳末の礼参らしめざる者は、知行覚悟有るべきの由、室町殿仰せ候、当代大略参らざるの間、此の御沙汰に及ぶ。この年始歳末の礼は、室町殿へ、公卿たちの参らるる事なり。覚悟有るべしとは、今の世の語にも、覚悟せられよと云うと同じ、また曰く、同二月十日、去年越前に下し遣わす使者、今日上る、遅々以ての外の事なり、河合荘(内裏御料所)御年貢三千疋、知行分杣山荘分三千疋(乱以前は請切万四千疋なり)到来す。など有り。これらは、書ども読むとて、ふと心にとどまるふし共の有るを、これかれと、いささかづつぬき出でて書けるなり。乱れたりし世ほど、何事もいたく衰えたりしさましるせるを読めば、いと悲しくて、ほとほと涙も落ちぬかし。今云々と書けるに二よう有り。そはまづ云々とは、古き書共には、語をはぶきたる所に書けるを、中昔より近き世の物には、となりと云えりなど云うべき所に書けり。
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『玉勝間』十二の巻 御所様、大御所中原康富記に、伏見殿をも、大将軍をも、御所様と云える所あり。また嘉吉二年十一月廿六日、伏見殿に参る、宮の御方の御読に候す、大御所御出座有り、とも見ゆ。大御所とは、貞成親王、後の諡後崇光院を申せるなり。
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