玉勝間 / 十一の巻 そらごとをうそと云ふ事
萬葉四の卷に、「逢見ては月もへなくにこ、ふといはばをそろと我をおもほさむかも、又十四の卷に、「からすとふおほをそ鳥のまさてにも來まさぬ君をころくとぞなく。此歌の意はその如くまさしく來もし給はぬ君なる物を、鳥と云ふ大虚言鳥の、此來此來と鳴くことよと云へるなり。ころくは、ろは例のやすめ辭にて、こは此にて、此所へ來と云ふ事なり。子等來にはあらず。すべて子には、古故などの字を書る例なるに、これは許)字を書たり。そのうへ來まさぬ君とは、女の男をさして云へる言なるに、そを子等と云ふべきにあらず。さて淸輔ノ朝臣の奧義抄に、或人ノ云〃、ひむかしの國の者は、そらごとをば、をそごとと云ふなりと有り。上ノ件の萬葉四の卷なるは、東人の歌にはあらざれば、古へは、をそと云ふ言、京人も云ひしなり。斯くてをそは、卽ち今の世にうそと云ふ言これなり。ヲとウとは、殊にしたしく通ふ音なり。
新字:万葉四の巻に、「逢見ては月もへなくにこ、ふといはばをそろと我をおもほさむかも、又十四の巻に、「からすとふおほをそ鳥のまさてにも来まさぬ君をころくとぞなく。此歌の意はその如くまさしく来もし給はぬ君なる物を、鳥と云ふ大虚言鳥の、此来此来と鳴くことよと云へるなり。ころくは、ろは例のやすめ辞にて、こは此にて、此所へ来と云ふ事なり。子等来にはあらず。すべて子には、古故などの字を書る例なるに、これは許)字を書たり。そのうへ来まさぬ君とは、女の男をさして云へる言なるに、そを子等と云ふべきにあらず。さて清輔ノ朝臣の奥義抄に、或人ノ云〃、ひむかしの国の者は、そらごとをば、をそごとと云ふなりと有り。上ノ件の万葉四の巻なるは、東人の歌にはあらざれば、古へは、をそと云ふ言、京人も云ひしなり。斯くてをそは、即ち今の世にうそと云ふ言これなり。ヲとウとは、殊にしたしく通ふ音なり。
書き下し
万葉四の巻に、「逢い見ては月もへなくにこうといわばおそろと我をおもほさむかも、また十四の巻に、「からすとうおおおそ鳥のまさでにも来まさぬ君をころくとぞなく。この歌の意はその如くまさしく来もし給わぬ君なる物を、鳥と云う大虚言鳥の、此来此来と鳴くことよと云えるなり。ころくは、ろは例のやすめ辞にて、こは此にて、この所へ来と云う事なり。子等来にはあらず。すべて子には、古故などの字を書ける例なるに、これは許の字を書けり。そのうえ来まさぬ君とは、女の男をさして云える言なるに、そを子等と云うべきにあらず。さて清輔の朝臣の奥義抄に、或る人の云わく、ひむかしの国の者は、そらごとをば、おそごとと云うなりと有り。上の件の万葉四の巻なるは、東人の歌にはあらざれば、古は、おそと云う言、京人も云いしなり。かくておそは、即ち今の世にうそと云う言これなり。ヲとウとは、殊にしたしく通う音なり。
現代語訳
『万葉集』巻四に、「逢ってからまだ一月も経たないのに、恋しいと言ったら、嘘つきだと私をお思いになるでしょうか」とあり、また巻十四に、「烏という大嘘つきの鳥が、本当には来てくださらない君なのに、『ころく』と鳴くことよ」とある。この歌の意味は、そのように本当には来てもくださらない君であるのに、烏という大嘘つきの鳥が「此来(ここへ来る)、此来」と鳴くことよ、と言ったのである。「ころく」は、「ろ」は例の語調を整える辞で、「こ」は「此」で、この所へ来る、ということである。「子等来(子らが来る)」ではない。すべて「子」には「古」「故」などの字を書く例であるのに、これは「許」の字を書いている。そのうえ「来まさぬ君」とは女が男を指して言った言葉であるのに、それを「子ら」と言うはずがない。さて藤原清輔朝臣の『奥義抄』に、「ある人が言うには、東国の者は、そらごと(嘘)を『をそごと』と言うのである」とある。上に挙げた『万葉集』巻四の歌は東人の歌ではないから、古くは「をそ」という言葉を京の人も言ったのである。こうして「をそ」は、すなわち今の世に「うそ」と言う言葉がこれである。「ヲ」と「ウ」とは、ことに親しく通い合う音である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 ことば、ことのは言を、ことばまたことのはと云う事は、古今集の序に見えたれど、万葉には、こととのみ云いて、ことばと云えるは、廿の巻なる東人の歌にただ一つ、伊比之古度婆曽わすれかねつると有るのみなり。但しこれは、婆の字は波を誤れるにて、波もてにをはならむも知りがたし。この集には、波曽と重ね云える例も、これかれ有ればなり。
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『玉勝間』十二の巻 事のはじめてそのきはになるを口と云ふ事俗語に、事の始めてその際になるを、なにがし口と云うこと、ふるし。拾遺集物の名に、くち葉色の折敷、あしひきの山の木の葉のおち口は色の惜しきぞあわれなりける。
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『玉勝間』四の巻 御国の言と外ッ国の言とおのづから似たるも同じきもある事皇国の古言と、漢字の音と、おのづから同じきも、まま有るなり。ケと気、ヤと耶、サカと尺、ウマと馬、ニと死、ハグと剥、スと洲などの如し。なお有るべし。また蝉は、セミセミと鳴けば、その声によれる、本よりの名か、字の音をとれるか、これらはわきまえがたし。このたぐいもなお有るべし。文、銭、関などは、字音なる事しるし。然るをこの文、銭などになずらえて、いささかも似たるが有れば、皆その字音をとれりと心得るは、ひが事なり。また梵語、朝鮮語などと似たるが有れば、それをもかれを取れる物と思うめり。まづ梵語をとりて、ここの言にしたるは、有る事無し。たまたま似たるが有るは、おのづからの事なり。千万の言の中には、おのづから似たるも、同じきも、などか無からん。また今の朝鮮の言と同じきは、寺、郡などのたぐいは、まことに韓語をとれるなり。
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『玉勝間』八の巻 万葉集に乎知と云ふ言万葉集五の巻に、わがさかりいたくくだちぬ雲にとぶ薬はむともまた遠知めやも、雲にとぶくすりはむよは京見ばいやしき我身また越知ぬべし、此二つの遠知と云う言、落にしては、仮字もたがい、歌の意も聞えず。昔より解えたる人無きを、おのれ考え得たり。まず此二うたは、久しく筑紫に在りて、京を恋しく思いて詠めるにて、始めの歌の意は、わがよわい盛り過て、いたく衰えたり、今はかのもろこしに有りし、淮南王の仙薬を服とも、又若き昔にかえる事は得あらじとなり。次なるは、淮南王の薬をはまんよりは、我は、京を見たらば、又昔にかえりて、若くなるべしとなり。遠知は、何事にても、又もとへかえる意にて、此歌どもなるは、身の又若かりし昔にかえるを云えるなり。十七の巻、家持主の鷹の長歌に、手ばなれも乎知もかやすき云云、こは鷹を褒めたるにて、この乎知は、本の手へ返りくる事を云えるなり。二十の巻に、わが屋戸に咲るなでしこまいはせむゆめ花ちるないや乎知にさけ、是れも又初めへ返り返りして、いよいよ久しく咲けと云えるなり。
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『玉勝間』四の巻 御国の言と外ッ国の言とおのづから似たるも同じきもある事古え三韓は、もはら皇朝に従いいて、常に参り通いしかば、おのづからかの国の語のうつれるも有るべく、また本ここに無かりし物の、かの国より渡りもうで来つるなどは、かの国の名を、やがて用いたるも有るべく、また古え皇国の語を、韓人のならいて、かの国の言にも成れるが、今の世まで朝鮮に残れるも有るべきを、かえりてそれをも、ひたぶるに皆、かしこより出でたらんと思うは、またひが事なり。さてまた古え母をオモと云えること有り。これをも、漢国にて阿母と云うより出でたりと、儒者などは例の云えど、然らず。本よりの古言なり。万葉の東歌には、アモとも詠めれど、それも漢国の阿母によれるには有らず。オモを、東国の言にさ云えるなり。また今の俗言に、たまたまからぶみに見えたる言と、似たるが有るをも、かれを取れりと、例の云うなり。母をカカと云うは、ある漢籍に、家家と云える事あれば、そを取れるなりと、近き世にある人は云えれど、いとあたらぬ事なり。いかにと云うに、さる物遠きから国の書に、稀れに見えたる言を、此方の俗人の、いかでか知りて取り用いる事あらん。
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『玉勝間』十四の巻 夜〃寝ず起てゐるを居と云へる事万葉集二に、「居あかして君をばまたむ、ぬば玉のわが黒髪に霜はふるとも、十一に、「真袖もち床うちはらい君まつと居りしあいだに月かたぶきぬ、十八に、「おりあかしこよいはのまむ、ほととぎすあけむあしたはなきわたらむぞ、二十に「家おもうといをねずおれば、たずがなくあしべも見えず春の霞に、なおあり。大かたこのたぐいの居は、ただ一わたり軽くつねに云うとはかわりて、夜る寝ずに、起きて居る意なり。軽く見るべからず。
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