玉勝間 / 十一の巻 如意と云ふものをとる事
北山抄の、釋奠の又の日、明經論義のところに、博士の如意を執る事見えたり。皇朝にても、儒のかたにては、さること有しなり。
新字:北山抄の、釈奠の又の日、明経論義のところに、博士の如意を執る事見えたり。皇朝にても、儒のかたにては、さること有しなり。
書き下し
北山抄の、釈奠の又の日、明経論義のところに、博士の如意を執る事見えたり。皇朝にても、儒のかたにては、さること有りしなり。
現代語訳
『北山抄』の、釈奠の翌日の明経道の論義のところに、博士が如意を手に執ることが見えている。わが国でも、儒学の方ではそういうことがあったのである。
解説
平安時代の儀式書『北山抄』から、儒学の儀式で博士が「如意」を手にしたことを書き留めた短い段である。釈奠は孔子を祀る儀式で、大学寮で春と秋に行われ、翌日には明経道の学者が経書の義を論じ合う論義があった。如意は、もとは背中をかく道具が起こりとされ、のちに僧が説法や論議の際に手にする威儀の具となったものである。宣長の時代には如意といえば仏家の持ち物という印象が強かったから、それを儒者も用いていたことに目を留めたのであろう。『北山抄』は藤原公任の著で、宣長はこの巻の後半で同書から何条も続けて抜き書きしている。道具の使われ方一つから、儒と仏が宮廷の中で作法を分け合っていた様子が見えてくる。
関連する章句
-
『玉勝間』十一の巻 茶の事同じ書、御仏名の条の裏書にいわく。法親王に禄を賜う、紅染の細長一襲(御衣、)桜色の綾の細長一襲、茶并びに茶具二裹、(五葉の枝に付く)とあり。そのかみ早く茶をめで給いしにこそ。但し仏事につきての事にや。茶具と有るは、いかなる物なりけん。そもそもこの茶と云う物のこと、はやく桓武天皇の御世に、国史に見えたりと覚ゆるを、定かにその年と云う事おぼえねば、ここにえ引き出でず。
-
『玉勝間』十一の巻 封ノ字を書べきところに〆と書く事これも北山抄に、封の字のかわりに、近代は忽ち墨を引くと云う事有り。
-
『玉勝間』九の巻 引出物ひきで物と云うは、もと馬を牽きて、贈り物にするより出でたる事なり、北山抄大饗の条に、次に尊者の牽出物(馬二疋、若し尊者鷹を好む者ならば、馬一疋、鷹一聯に犬を加う、)など見えたり。
-
『玉勝間』十二の巻 扇をとりて神ををがむ事今の世に神を拝むに、扇を笏のようにとり持ちておがむは、古の儀にあらざるべし。貞観十年六月廿八日の格に、云云住吉・平岡・鹿島・香取等の神主并びに祝・禰宜、皆これ笏を把る、自余の神社は、未だこの例に預からず、祭礼の日は、手を拱きて事に従う云云。これによりて思えば昔は、笏を把らぬ者は、手を拱きて拝みしなるべし。
-
『玉勝間』十三の巻 右兵衛馬場北山抄に、右兵衛の馬場と云うも見えたれば、右近の馬場のみならず、六衛府みな、おのおのその馬場有りしなり。
-
『玉勝間』二の巻 儒者名をみだる事皇国は、物のありさまは、古とかわりきぬる事も、名は、物のうつり行く、その時時のさまには従わずして、今の世とても万になお古のを守り給うなるは、いともいとも有りがたく、孔丘が心もていわば、名のいと正しきにこそ有りけれ。さるをかえりて正しからずとしも云うは、何につけても、あながちに皇国を云いおとさむとする心のみ進めるからに、そのひがことなる事をも、われながら覚えざるなめり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る