玉勝間 / 十一の巻 刀の目貫と云ふ物
拾遺集の神樂歌に、「しろかねのめぬきのたちをさげはきて奈良のみやこをねるはたが子ぞ。
新字:拾遺集の神楽歌に、「しろかねのめぬきのたちをさげはきて奈良のみやこをねるはたが子ぞ。
書き下し
拾遺集の神楽歌に、「しろかねのめぬきのたちをさげはきて奈良のみやこをねるはたが子ぞ。
現代語訳
『拾遺和歌集』の神楽歌に、「銀の目貫を付けた太刀を腰に提げ佩いて、奈良の都を練り歩いているのは、どこの家の子であろうか」とある。
解説
題の「刀の目貫」という言葉が、平安時代の歌にすでに見えることを示すために、『拾遺和歌集』の神楽歌を一首だけ引いた段である。目貫は、もとは刀の柄と刀身を留める釘を指し、のちにその上を飾る金具の名となった。江戸時代には金工の粋を凝らした目貫が武士の装身具として好まれていたから、宣長の読者には身近な言葉であった。その言葉が、銀の目貫の太刀を佩いて奈良の都を練り歩く若者を歌う、古い神楽歌の中に生きている。宣長は解説を加えず歌を示すだけだが、今使われている道具の名が千年前からあったという事実だけで、読者は言葉の古さに気づかされる。華やかに着飾って都を歩く若者の姿も、時代を越えて目に浮かぶ一首である。
関連する章句
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