玉勝間 / 十一の巻 足ことを知ると云ふ事
たることを知ると云ふは、もろこし人の常に、いみしきわざにすめる事なるを、これまことにいと善き事にて、しか思ひとらば、程程につけて、誰れも誰れも、心はいと安かりぬべきわざにぞ有ける。然はあれども、高きみじかき、ほどほどに望みねがふ事の盡きせぬぞ、世の人の眞情にて、今は足りぬと覺ゆる世は無きものなるを、世には足こと知れるさまに云ひて、さるかほする人の多かるは、例のからやうの作り事にこそは有れ。まことにきよく然思ひとれる人は、千萬の中にも、有がたかるべきわざにこそ。
新字:たることを知ると云ふは、もろこし人の常に、いみしきわざにすめる事なるを、これまことにいと善き事にて、しか思ひとらば、程程につけて、誰れも誰れも、心はいと安かりぬべきわざにぞ有ける。然はあれども、高きみじかき、ほどほどに望みねがふ事の尽きせぬぞ、世の人の真情にて、今は足りぬと覚ゆる世は無きものなるを、世には足こと知れるさまに云ひて、さるかほする人の多かるは、例のからやうの作り事にこそは有れ。まことにきよく然思ひとれる人は、千万の中にも、有がたかるべきわざにこそ。
書き下し
たることを知ると云うは、もろこし人の常に、いみじきわざにすめる事なるを、これまことにいと善き事にて、しか思いとらば、程々につけて、誰も誰も、心はいと安かりぬべきわざにぞ有りける。然はあれども、高きみじかき、ほどほどに望みねがう事の尽きせぬぞ、世の人の真情にて、今は足りぬと覚ゆる世は無きものなるを、世には足ること知れるさまに云いて、さるかおする人の多かるは、例のからようの作り事にこそは有れ。まことにきよく然思いとれる人は、千万の中にも、有りがたかるべきわざにこそ。
現代語訳
足ることを知るというのは、中国の人が常に立派なこととしているようだが、これは本当にたいへんよいことで、そう悟ることができれば、身分に応じて、誰でも心はたいへん安らかになるはずである。そうではあるが、身分の高い者も低い者も、それぞれに望み願うことが尽きないのが世の人の本当の心であって、今はもう足りたと思える時はないものなのに、世間には足ることを知っているように言って、そういう顔をする人が多いのは、例の中国風の作り事である。本当にきっぱりとそう悟っている人は、千万人の中にもめったにいないであろう。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十四の巻 世の人のこざかしき事云ふをよしとする事世の中のこざかしき人は、いわゆる道歌のさまなる俗歌をよみて、さとりがましき事をよく云うものなり。或いは身こそやすけれなど云いて、わが心のさとりにて身のやすきよしを詠むこと、みな儒仏にへつらいたる偽りごとなり。まことには、わが身を安しとして、足る事を知れる者は無きものなり。たとえば人の齢など、七十に及ぶは、まことに稀れなる事なれば、七十までも長らえては、はやく足れりと思うべき事なれども、人みななお足れりとは思わず。末のみじかき事をのみ歎きて、九十までも、百歳までも生きまほしく思うぞ、まことの情なりける。
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『酔古堂剣掃』集醒・足るを知る者は身貧しくして心富む得るを貪る者は、身富みて心貧し。足るを知る者は、身貧しくして心富む。高きに居る者は、形逸にして神勞す。下に處る者は、形勞して神逸す。
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『玉勝間』三の巻 富貴を願はざるを善き事にする論ひ世世の儒者、身のまずしく賤しきをうれえず、とみ栄えをねがわず、喜ばざるを、善き事にすれども、そは人のまことの情にあらず、多くは名をむさぼる、例のいつわりなり。まれまれにさる心ならむもの有りとも、そは世のひが者にこそあれ、なにの善き事ならん。ことわりならぬ振舞いをして、あながちに願わむこそは、悪しからめ。ほどほどにつとむべきわざを、いそしくつとめて、なりのぼり、富さかえむこそ、父母にも先祖にも、孝行ならめ。身衰え家貧しからむは、うえ無き不孝にこそ有りけれ。唯だおのがいさぎよき名をむさぼるあまりに、まことの孝を忘るるも、又もろこし人の常なりかし。
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『酔古堂剣掃』集靈・則ち自ら足るを知る人只だ我に如かざる者を把りて較量すれば、則ち自ら足るを知る。
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『玉勝間』十二の巻 金銀ほしからぬかほする事金銀欲しからずと云うは、例の漢ようの偽りにぞ有りける。学問する人など、好書をせちに得まほしがる物から、金銀は欲しからぬ顔するにて、その偽りはあらわなるをや。いまの世よろずの物、金銀をだに出せば、心にまかせて得らるる物を、好書ほしからむには、などか金銀ほしからざらむ。然は有れども、憚る事無くむさぼる世のならいにくらぶれば偽りながらも、さる類いは、なおはるかにまさりてぞ有るべき。
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『玉勝間』十二の巻 物しり人もののことわりを論ずるやう世のものしり人、人の身のうえ、世の中のことわりなどを、さまざま心高く、いとかしこげには論えども、とかく云うもかく云うも、皆からぶみの趣きにて、その垣内を出ずる事あたわざるは、いかにぞや。
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